寝技主体の七帝柔道の物語が再開する |
柔道部員たちの勝利を目指して苦闘する姿が泣けてくる
柔道に青春をかけた主人公の姿がめっちゃ感動的な、作家・増田俊也さんの名作「七帝柔道記」。
「面白い青春スポーツ小説」として名前が上がる作品で、主人公である増田さんが所属した北海道大学柔道部の物語は涙あり、笑いあり、感動あり!
2013年2月の第1作発売から続編を期待する声が続いていました。
そして第1作から11年をへて2024年3月、続編の「七帝柔道記 Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり」がついに刊行!
それだけに、まだ読んでない〝七帝ファン〟はもちろん、作品に興味がある人たちからは、
「〝七帝〟の続編の内容が気になっています!」
「北大柔道部は七帝戦で勝つことができるの ⁉︎」
「増田さんはケガが多かったけど、どうなってしまったの ⁉︎」
なんて声がたくさん上がっているんです。
この記事では「七帝柔道記 Ⅱ 」の面白くて感動的な内容(さわりですが)から、読みどころをピックアップ。
- 苦闘と不運にあえぐ北大柔道部
- 苦心の末に自分の柔道を確立する部員たち
- 主人公・増田俊也の苦闘と集大成
上記の3つの読みどころを紹介&解説します。
この記事を読めば、柔道部員たちと主人公・増田さんの汗と涙の奮闘ぶりや北大柔道部の感動的な結末がよく分かる。
さらに実際に作品のページを開いて、ストーリーの続きを読みたくなりますよ。
改めて「七帝柔道記」という作品について
★増田さんの自伝的小説
「七帝柔道記」は著者の増田俊也さんが自身の体験を元に記した青春スポーツ小説。増田さんの自伝的小説でもあります。
女性漫画家・一丸さんが作画を担当した漫画版の単行本も全6巻が刊行されています。
作品は増田さんが入学・入部した札幌の北海道大学柔道部が舞台。
日本古来の柔術などを源流とした寝技中心の「七帝柔道」に青春をかけた、北大柔道部員たちの姿が描かれています。
第1作である「七帝柔道記」や七帝柔道などに関しては、当ブログで公開している、
「七帝柔道記」寝技主体の最強柔道の歴史・ルール・練習方法がメチャ分かる名作4つの魅力
という記事でくわしく紹介&解説していますので、ぜひご覧ください。
★気になる続編のストーリーは ⁉︎
2013年2月に刊行された第1作では、主人公・増田さんが北大柔道部に入部するところから物語がスタート。
そして、1年目の夏に行われた旧7帝大柔道部による「七帝戦」の熱すぎる戦い。
増田さんが左ひざや大胸筋を負傷したため、欠場を余儀なくされた2年目の七帝戦までが描かれています。
低迷を続けていた北大柔道部は、増田さんが入部してからも七帝戦で1勝もできず4年連続最下位のどん底にあえいでいた。4年生らが引退した2年目の晩夏、増田さんは柔道部で上級生になる。だが主力を務めた先輩たちがいなくなり、団体戦に挑むための15人のレギュラーを固めることもままならない状況。増田さん自身も故障が癒えないまま猛練習を続け、さらにダメージを重ねる負のスパイラルに陥る。それでも部員たちは柔道部、OBや先輩たち、自分たちのために「命をかけて最下位を脱出するんだ」と猛練習を続けるー。
そして、ひたすらに、愚直なまでに「強くなろう」と汗と涙を流し続ける柔道部員たちの姿が泣けてくる。
メチャ秀逸な人間ドラマが展開されるんです。次項からはストーリーの3つの読みどころを1つずつ紹介&解説していきます。
1.苦闘と不運にあえぐ北大柔道部
七帝柔道は白帯から始める人も多い |
★主力がほぼ抜ける非常事態
物語は増田さんが2年目の七帝戦後、雪がちらつく10月の北大道場からスタートします。
柔道部の新幹部となった3年目は後藤主将を含めて3人だけ。しかも選手としてはわずか2人。鉄壁の「分け役」和泉唯信前主将は残留したが、4年生らが引退して団体戦で活躍していた主力のほとんどが抜けてしまった。新幹部である3年目の2人も小柄で、2年目の増田さんや親友の竜澤宏昌さんより実力的に劣る。試合のポイントゲッターの「抜き役」を、まだまだ修行中の増田さんや竜澤さんが務めなければならない状況だった。
「分け役」は相手の「抜き役」と引き分ける役。試合での勝者が次戦も戦う七帝戦では「抜き役」に匹敵する重要な役割。
ただ北大は「抜き役」に適している大型選手が不在。小柄な選手ばかりの状況で2年目の2人がポイントゲッター。
さらに鉄板の「分け役」も不在で、2年目や1年目を鍛えないといけないという最悪の状況だったんです。
★満身創痍でも練習を続ける負のスパイラル
小柄な肉体と技術や体力もこれからの下級生たちを鍛えるため、柔道部は1日4時間半の猛練習を繰り返します。
七帝柔道家には「練習量が全てを決める」、練習だけが強くなるための道という信念・信条があります。
部員たちはその信条を信じて、延々と練習を繰り返す。練習のほとんどは七帝戦形式で6分間の「寝技乱取り」。
関節が極まって「参った」しても先輩は離してくれない。絞め技で落とされても喝を入れられて、また乱取りを再開。
当然ながら疲労が蓄積した身体はケガでボロボロ。満身創痍。特に増田さんは2年目の時、左ひざを痛めて入院。
七帝戦後の新チームになってもケガは完治せず、だましだまし練習を重ねていた。12月の函館での東京水産大との対抗戦で130キロの巨漢と対戦。左ひざをかばった状態で戦い、今度は右ひざを痛める。
ひざに自転車のチューブを巻いて固定して練習を重ねたため、痛みとはれが引かない。寝ているとロッキングで痛みが走るが「病院に行くと手術になる」と避けていた。だが診察で十字靭帯と半月板の損傷が判明。手術を受け病院での年越しになった。
靭帯再建手術となれば入院が半年以上。リハビリなど完治まで1年半はかかるためでした。
増田さんは靭帯を支える周囲の筋肉を強くする道を選びましたが、それは「負のスパイラル」への始まりだったんです…。
七帝戦では寝技中心の攻防が展開する |
★「札幌には観光にきた」
増田さんが右ひざの手術を受ける前の11月、強豪・東北大との対抗戦「東北(とんぺい)戦」がありました。
翌年夏の七帝戦への前哨戦。下級生には実戦の舞台となり、上級生には来夏の七帝戦を占う大事な試合でした。
でも主力が抜け、小柄で下級生中心のチーム編成になった北大の惨状を知る東北大上級生の侮辱的な言葉が伝わってきたんです。
「札幌には観光にきただけだ。おまえたち(下級生)だけで片付けろ」
あまりの屈辱的な言葉に、北大部員たちは「なめやがって!」と発奮。東北戦でリベンジを狙います。
でも東北大の言葉通り、北大勢は惨敗。上級生で超弩級(規格外の大きさ、強さ)の「抜き役」がそろう強豪に歯が立ちませんでした。
格闘技はフィジカル(体格)がモノをいう。そしてフィジカルは一朝一夕で身に付くものではない。ホントに残酷な競技です。
それでも「練習量が全てを決める」と信じ、北大部員は夏の七帝戦に向けて猛練習を再開します。
でも相手だって七帝戦で勝つために自分たちと同じくらい、それ以上に練習をしている。
北大は抽選で、皮肉にも強豪・東北大と一回戦で対戦し惨敗。敗者復活戦で戦った東大にも完敗し、5年連続最下位に…。
2.苦心の末に自分の柔道を確立する部員たち
★努力が報われる日は来る
5年連続最下位となった北大。部員たちは古いOBらからの重圧や失望、自分たちのふがいなさにさいなまれます。
でも努力って、報われるんですね。ストーリーで最高に感動したのが増田さんの1年先輩、斉藤哲雄(テツ)さんのエピソードです。
斉藤さんは160センチ&60キロと小柄。しかも非力。3年目までの七帝戦には出場することができませんでした。
増田さんが1年目の頃の乱取りなどで、増田さんにグチャグチャにされて悔し涙を流していたんです。
乱取りになれば力を抜くわけにはいかない。力を抜けば相手に伝わる。それは抑え込まれたり絞め落とされたりする以上の屈辱だろう。下級生に抑え込まれている姿を見つけて辛くなった。テツさんは1年目の強い連中にも歯が立たなくなっていた。
増田さんや竜澤さんら「抜き役」と乱取りを繰り返して抑え込まれながらも、自分自身の柔道を磨いていたんです。
〝自分の柔道〟の芽が出始めたのが増田さんが2年目、テツさんが副主将となった3年目の11月の東北戦。1年生ながら巨漢の選手に引き分け。
そしてテツさんが4年目の夏に初出場を果たした東京での七帝戦で、ついに開花させます。
相手は鉄板の「抜き役」。増田さんはテツさんを「北大の最大の穴」「間違いなく抜かれる」とみていました。
テツさんは目の覚めるような寝技をした。相手の力に逆らわず、流れるような動きで先へ先へと回っていく。決して相手に重要なところを極めさせない。それはまさに究極の寝技だった。最後の最後に自分の柔道を創り上げたのだ。
★北大屈指の「分け役」に
柔道部の主将を務め、副主将の斉藤テツさんと後輩たちを引っ張った後藤孝宏さんが進化していく姿も感動に満ちています。
それでも、やられると分かっていても絶対に増田さんに乱取りを申し出る。「1日に1回は増田と(乱取りを)やるんだ」と対戦を名乗りでる。
鉄板の「分け役」になるには、強い相手との乱取りを数多くこなすしかない。
毎日の対戦で「抜き役」の攻撃をしのぐ力をつけるしかないと決意していたんです。
一方で、増田さんは乱取りをこなしていると「(分け役として)後藤さんが弱くなった」と感じる時があった。理由は「抜き役」としても活躍するため。相手の攻撃をしのいで反撃して「抜く」ことを意識していたからだった。
後藤さん4年目、増田さんら3年目の七帝戦では東北大、東大の猛者に抑え込まれ完敗。
5年目の後藤さん、4年目となった増田さんにとって最後の七帝戦では、何と東北大との2年連続の対戦になった。抜きつ抜かれつの接戦でタイとなって臨んだ三将戦で、後藤さんは187センチ超の巨漢「抜き役」と激突。「どんな強いやつだろうと俺がカメで止めてみせる」と宣言通り、鉄壁のカメで引き分け。相手の猛者を止めてみせた。
5年間やられまくって身につけた技の集大成を、最後の七帝戦で披露したんです。
増田さんらがグチャグチャにした後輩たちが見事に成長した |
★後輩たちも着実に成長
増田さんら4、5年目にとって最後の七帝戦では、下級生たちも大奮闘しました。
2年目の後藤康友(ゴトマツ)さん。128キロの巨漢で北大に足りなかった超弩級として増田さんらがスカウトした有望株。
増田さんらは他部の先輩から「大型の超アスリートがいる」と教わりアタック。でもゴトマツさんは、柔道はおろかスポーツ経験なし。
それでもゴトマツさんは「自分を必要にしてくれてうれしい」と白帯で入部。
増田さんらは「北大を背負って立つ将来の大型選手」として、練習で鍛えまくったんです。
白帯から始めたため立ち技はまったくできないが、カメだけは堅くなってきた。それまでに2人を抜いていた4年目の超弩級選手の攻撃を、真っ赤な顔になってチームのために耐え抜く。攻撃の痛みに顔を歪めながらも必死に守っている。その姿に北大陣営から嗚咽が上がった。
そして3年目の大森一郎さん。両軍ともにタイで迎えた大将戦に臨みました。
大将といっても、実は戦略上の「置き大将」。大森さんは実力的に発展途上という評価。
北大は最後の大森さんの前までにリードをつけて逃げ切る戦法でした。
カメになった大森さんは相手の馬力に防戦一方。抑え込まれて30秒で一本となる危機を29秒で脱出したが「技あり」に。さらに抑え込まれ「技あり」2本で「合わせ一本」の危機に陥るが、22秒で脱出。見事に「引き分け」に持ち込んだ。
この大森さんの「引き分け」が、東北大との代表戦(代表選手による決戦)に挑む北大に〝大金星〟をもたらすんです。
3.主人公・増田俊也の苦闘と集大成
増田さんは満身創痍ながら柔道部のために闘った |
★4年目まで尾を引く負のスパイラル
3年目の七帝戦後、増田さんは故郷の名古屋に戻ると両親に「大学を中退する」と告げます。
増田さんは七帝柔道に憧れ、柔道をやるために北大に入ったこと。
故障が癒えず満足な柔道ができないこと、それでも3年間やってきて思い残すことがないーというのが理由でした。
増田さんは竜澤さんだけに中退する意思を明かしていたが、竜澤さんは「あと1年、大学に残ってほしい」と懇願する。「これで終わってほんとうに増田君はいいのか。ずっと一緒に『北大を復活させよう』って話してきたじゃないか」「親友が頭を下げてもだめか」と両手を畳についた。
練習中は自転車のチューブなどで固定していたが、グラついて使い物にならない。脚が細くなったまま寝技乱取りを繰り返し、膝と腰を悪くしていくだけの練習が続いた。増田さんの右膝は前回の手術で切除した半月板のところの骨が炎症を起こし、縫って補強した半月板もボロボロだった。
担当医は再建術をすれば、柔道への復帰は何年も後になると説得する。それでも増田さんは「七帝戦まで時間がないんだ」と再建術を懇願するが…。
結局は半月板の修復手術となり、増田さんはリハビリ施設へ。右ひざの機能回復を目指すと同時に上半身の強化に汗を流します。
でも復帰を焦って大胸筋の肉離れが再発。右腕がきかなくなってしまいました。
それでも理学療法士や部員たちに黙って練習を繰り返し、悪化を繰り返す…。
まさに夏の七帝戦まで負のスパイラルとの戦いも強いられたんです。
★北大柔道部を心から愛するあまり
負のスパイラルと戦う練習の一方で、増田さんは北大柔道部のために心を尽くしていました。
北大柔道部の将来をになう選手たちのスカウト。当時の柔道部では鉄板の「抜き役」を任せられる選手が不足していました。
大型選手の獲得と育成が課題。だから前述のゴトマツさんのように、竜澤さんとともに家まで訪ねて口説いたり。
中井さんは札幌北高レスリング部でならし、大学では立ち技を学ぶため極真空手入りを考えていた。中井さんを逸材と見抜いた増田さんと竜澤さんは、乱取りでさまざまな寝技や関節技をデモンストレーション。前のめりで見つめていた中井さんは「入部します」。
一方で柔道部をバカにする人は許しませんでした。
体育会幹部のコンパで、増田さんはボクシング部幹部にからまれて柔道部を侮辱された。幹部は北海道の学生チャンピオン。「柔道部を見下すのは許さんぞ」「ボクシングでは柔道に勝てんぞ」増田さんはほほに一撃を食らうが動ぜず大腰で投げ、抑え込みつつ関節を極めた。竜澤さんが止めに入ったが「増田君が腕折ってから止めりゃよかった」。
ちなみに4月恒例の新歓合宿での伝統行事「カンノヨウセイ」も実行。
1年目の後輩たちに対するドッキリカメラのようなイタズラです。増田さんらは4年目でさすがに飽きて「今年で廃止」と考えていました。
でも犠牲になった1年目たちは「僕たちが来年やってからです!」と食ってかかり…。
「カンノヨウセイ」のエピソードは秀逸なので、ぜひ作品でお楽しみください。
北大は七帝戦で大健闘をみせた |
★4年目の集大成と決意
「七帝戦で勝つんだ」と練習をすればするほど故障が悪化し「弱くなっていく」という悪循環。
自分が1年目の時。上級生に何度も関節を極められ、絞め落とされる。「参った」しても離してくれない。「逃げてみろ!」。先輩にいわれた言葉を、自分でも後輩に投げかけている。「強くなって、柔道部を支えてほしい」。後輩を抑え込みながら、先輩たちの気持ちがようやく分かった。
北大は「置き大将」で発展途上の大森さん。絶対に抜かなければいけない副将戦に臨んだ増田さんは、無念の引き分け。全員が「6年連続最下位が決まった」とうなだれた直後の大将戦で、大森さんが執念の引き分けを果たした。
増田さんが選手として、先輩として柔道部のために流した汗が報われる、まさに増田さんの4年間の集大成となりました。
「私たちの代の役割は、後輩たちへ繋ぐことなのだ」
これまでの悔し涙ではなく「静かな涙」を流した七帝戦後。柔道をやり切った増田さんは、北大教養部の教務課へ。北大の教務課の人は無愛想で知られ、とっつきにくい。増田さんはガラス製の引き戸を開けて「すいません」と声をかけ…。
古臭いと思われるかもしれませんが、バンカラの空気に満ちた北大ここにあり! と最後の最後にホロリとさせられました(苦笑)。
素晴らしいエンディングになっているので、ぜひ作品でご覧ください。
まとめ・読めば心の奥底から感動が湧き上がる
寝技の描写は選手たちの息遣いが伝わってくる |
ここまで「七帝柔道記 Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり」について紹介してきました。
そして、作品の面白くて感動的な内容から、読みどころをピックアップ。
- 苦闘と不運にあえぐ北大柔道部
- 苦心の末に自分の柔道を確立する部員たち
- 主人公・増田俊也の苦闘と集大成
上記の3つの読みどころを紹介&解説してきました。
この記事を読めば、柔道部員たちと主人公・増田さんの奮闘ぶりや北大柔道部の感動的な結末がよく分かる。だから、
「〝七帝〟の続編の内容が気になっています!」
「北大柔道部は七帝戦で勝つことができるの ⁉︎」
「増田さんはケガが多かったけど、どうなってしまったの ⁉︎」
なんて頭を抱える、まだ読んでいない〝七帝ファン〟や作品に興味がある人たちは疑問が解消したと思います。
この記事で紹介した内容はホンのさわり程度。感動的で、メチャ面白いエピソードが紹介しきれないほど詰まっています。
また試合の描写、特に寝技の攻防は選手たちの苦しげな息遣いが伝わってくるリアル感に満ちています。
この記事を踏まえて、実際に作品のページを開いてみてください。
心の奥底から感動が湧き上がってくることを約束します!
当ブログではほかにも面白い小説や漫画を紹介しています。ぜひご覧ください。
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