「ブルース・リー 李小龍の栄光と挫折」没後50年!伝説の武道家の強さ・映画が分かる名著の5つの魅力

2023年7月10日月曜日

小説を楽しむ

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伝説の武道家ブルース・リー

ブルース・リー入門書で波乱の生涯を手軽に楽しむ


アクションスターとして世界の映画史にその名を刻み、今もなお語り継がれている伝説の武道家


ブルース・リー李小龍(り・しょうりゅう)。


代表作「燃えよドラゴン」など主演した功夫(クンフー)映画は、昔も今もアクション映画ファンの間で人気です。


さらに2023年はブルース・リーの没後50年にあたり、さまざまなイベントが開催されています。それだけに、


ブルース・リーって本当に強かったんですか? 彼の生涯が分かる入門書を読んでみたい


ブルース・リーのアクションと演技、主演映画の評価はどうだったんですか?


ブルース・リーは若くして亡くなって死因説がいろいろあるけど、本当はどうだったの?


なんて声がたくさんあるんです。


そんな疑問に答えてくれる本が、評論家・四方田犬彦さんの名著「ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独」。


伝説の武道家の生涯や事績、武道家アクションスターとしての評価主演映画などについてくわしく解説されています。


この記事では名著の読みどころをピックアップ。ブルース・リーが今もファンを魅了する秘密として、


  1. 香港の最強ストリートファイター
  2. 香港映画界では演技派の名子役
  3. 截拳道(ジークンドー)創始と米ハリウッドでの苦闘
  4. アクション映画史に刻まれた5つの功夫映画と評価
  5. 補足・さまざまな死因説について

上記の5つの魅力について紹介&解説します。


この記事を読めば、ブルース・リーの事績や魅力が分かってナットク&マンゾク


もっとブルース・リーのことが知りたくなって、本のページを開きたくなりますよ。

「ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独」と四方田犬彦さん


★伝説の武道家が愛され続ける理由を追及


ブルース・リーの劇的すぎる生涯を紹介する伝記・評伝は、これまでたくさん発表されています。


リーのフォトグラフィックをふんだんに掲載した豪華版あり。生涯や事績を克明に記録したものあり。


さらにはリーの死因にまつわる都市伝説的なウワサを集めた作品あり。


どれも魅力的だけど、もう少し手軽に分かりやすく、ブルースの生涯を追いかけながら楽しめる作品はないのか。


さらに2023年は没後50年にあたるだけに、なぜブルースが今に至るまで愛され続けているのか。


そんな疑問に答えを与えてくれる本はないかと探してたどり着いたのが、「ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独」でした。


★アジア文化面からの考察が面白い


この本は2005年10月に刊行。2019年の文庫版、電子書籍版の発売にあたって改変された作品です。


著者の四方田犬彦さんは日本でも屈指の評論家。比較文化の大家でアジア文化はもとより、映画史にもくわしい人。


そしてブルース・リーの大ファン。この本を書くためブルースの生涯を徹底的に追いかけたそうです。


後述しますが、ブルースは赤ちゃんのころから香港映画で子役を務めた経歴の持ち主。


子役として多くの作品に出演していて、四方田さんは多くの出演作を鑑賞してチェック。


アジア文化の視点から映画の背景を分析。さらに子役時代の演技力も紹介しています。


アクション俳優として主演した功夫映画に関しても、作品の背景や当時のリーの置かれた状況、さらにアクションも徹底分析。


裏舞台もふんだんに紹介。ブルース・リーの入門書であり、伝説の武道家のことがくわしく分かる解説書でもあるんです。


ここからはこの本の読みどころ、ブルース・リーが今もファンを魅了する5つの魅力を、1つずつ紹介&解説します。


1.香港の最強ストリートファイター



★生後3カ月で映画デビュー


作品ではブルース・リーの生涯について、くわしく説明しています。


まずは伝説の武道家の生い立ちから。ブルースは1940年、米サンフランシスコで誕生。


父は広東演劇の名役者、李海泉。母はドイツ人と中国人のハーフ、何愛瑜(グレイス・ホー)。


家族を連れてお父さんが米国での長期巡業していた際に誕生し、本名は李振藩


「藩」はサンフランシスコ(三藩)の意味で、サンフランシスコを揺るがすほど活躍するという希望を名前に託したそうです。


お父さんは演劇のほか、米国内で制作され香港などで公開されていた広東語映画にも出演。


そんな縁から、ブルースは生後3カ月ながらサンフランシスコで制作されていた映画「金門女」にお父さんと一緒に出演。


何と、赤ちゃんのころに俳優として映画デビューしているんですね。


★香港でのヤンチャな日々


1941年に李一家は香港に帰国。ブルースはラ・サール学院小学部に通学します。


トンデモなくヤンチャな性格でケンカ好き。教室で騒ぎを起こす一方、読書家で医者を目指していたそうです。


その後、ラ・サール学院中等部に進学したけどケンカ好きの性格は変わらず。


長じるにつれて不良仲間と付き合い、バイクを無免許で乗り回したり。ストリートファイトに明け暮れたり。


ラテンダンスのチャチャチャにハマったり。


一方で第二次世界大戦の終結後、占領していた日本軍が撤退した香港では映画制作が再開


ブルースも8歳から子役として映画に出演後述)。気力とパワーがみなぎりまくり、精力的な日々を過ごしてたんですね。


そして15歳のころ。ブルースは初めて中国拳法の指導を受けるんです。


★イップマンに弟子入り


ブルースが教えを受けたのは、詠春拳。広東省を中心に広まっていて、少林拳が源流。


師匠は葉問。「イップマン」の名で多くの功夫映画が制作されていて、とても有名な武道家。


でも、民族意識ってのは厄介なもの。ブルースの体にはドイツ人の血が4分の1流れている。


白人とのクォーターだとして、イップマンの門弟の中にはブルースの入門を歓迎しない人がいたそうです。


手ほどきを受けた詠春拳で、ブルースはますますストリートファイトに明け暮れたことで破門。以後は兄弟子に教えを受けたそうです。


さらにラ・サール学院も退学になって、聖フランシス・ザビエル校に転校。


ザビエル校は上流階級の子弟が通っていて、不良だったブルースの肌には合わず孤立感を感じていたそうです。


香港中の高校が参加する高校ボクシング大会に出場すると、3人にKO勝ち。


決勝戦ではイギリス人少年をKOして優勝。詠春拳で磨きをかけたケンカ殺法で、ストリートファイトで最強を誇ったそうです。


★暴れすぎて米国へ


詠春拳に加えて、ブルースは中国拳法の北拳も学んでいます。


中国拳法各流派の源流の1つに少林寺拳法があります。この少林拳も長江を境界にして北拳と南拳に分かれています。


詠春拳は広東を中心にした南拳。ブルースは北拳を学ぶことで、総合的な中国拳法の真髄をマスターしたんです。


そしてマスターしたことをストリートで実践。


ブチのめされた相手が警察に訴えるのでブラックリストに名前が掲載されるほど、リアルファイトに強かったんですね。


でも警察へ謝りに行くたびに、両親は息子の将来を心配して窮余の策を立てます。


19歳になるまでに米国に戻らないと、市民権が失効すると息子を説得。サンフランシスコ行きを勧めたんです。


香港のチャチャチャ選手権で優勝もしたことで思い残すことはないと、ブルースは1959年に米国へ渡りました(後述)。


2.香港映画界では演技派の名子役



★子役として20本以上の作品に出演


ブルース・リーに対して「演技力はどうだったの?」と疑問を口にしている人がいます。


前述した通り、父が広東演劇の名役者。しかもお父さんが出演した映画に生後3カ月でデビューしています。


四方田さんの著書によると、映画初出演以後も18歳まで、子役として20本以上の作品に出演。


四方田さんは、香港に出向いて現存していた多くのフィルムを見たそうです。


出演作のうち主演作が6作品。第二次大戦中の抗日運動が盛んだった中国(香港)社会が背景だったり。


戦後の中国(香港)の世相を反映した、家族愛ものなどに出演していました。


戦前の中国(大陸)では、上海が映画の中心でした。ただ拡大していた共産勢力を嫌って多くの映画人が香港に移住。


そのため香港でも映画産業が盛んになり、たくさんの作品が作られました。そんな香港でブルースは子役として活躍。


役柄も影のある少年、コミカルで明るい子供、不良少年など、いろんな役を演じています。


四方田さんは、演技力が素晴らしく後の功夫作品に通じる演技も見せていると高く評価していることも記しています。


★出演作品を解説


四方田さんは、子役時代のブルース・リーが出演した作品について内容などを解説しています。


ここでは四方田さんが高い評価を与えくわしく解説している作品を紹介します。


細路祥】1950年公開。当時9歳で初めて「李龍」の芸名で主演した作品。


貧しい人たちが暮らす街の一角に住む少年・細路祥。拾い集めた漫画本を売るなど、したたかに生きる少年を描いています。


ブルース演じる少年が弟や妹の前で見せる道化芸が秀逸。髪の毛をかきむしる猿や、学校の先生をマネしたり。


ブルースの天才的即興性がはっきり分かり、未来の功夫スターを予感させるシーンです。


苦海明燈】1953年公開の主演作。孤児として世間の辛酸をなめながらも、博愛精神に満ちた医学者となる青年を描く。


苦しい状況でも愚痴をこぼさず、屈辱と無理解にじっと耐え抜く姿。誇りをバカにする行為には頑固なまでに行動する姿。


そんな主役の少年を演じて、1950年代の香港メロドラマの象徴的な少年像になった。


千萬人家】1953年公開。当時の中国人家族の姿を描く風刺的なストーリー。


老夫婦が2人の息子の家を訪問。裕福な長男の家では雰囲気になじめず、一般的な家庭を作った次男の家で安らぎを感じる。


ブルースは次男の息子を演じ、当時の中国人の一般的な家庭でのびのびと成長する少年として幸福感に満ちたシーンに貢献。


日本で同時期に公開された小津安二郎監督の「東京物語」と比べたくなる作品と評価しています。


ブルース・リーは子役時代もスゴかった


★天性の役者ぶりに驚嘆


】1954年公開。航行中の巨大客船が暗礁に乗り上げ、乗客たちが人生を振り返り愛について思いをめぐらすストーリー。


ブルースは雑技芸人家族の息子を熱演。見世物の口上をしたり、軽やかに逆立ちしたり。体術(功夫)を披露。


掛け合い漫才で父親を挑発するような演技も披露。後の功夫映画で相手を挑発する演技の原型が見られる。


詐癲納福】1956年公開のスラップスティック・コメディー。ブルースは裕福な家庭に育ちつつ不良に憧れる高校生役で出演。


近眼で黒縁メガネで、ユーモラスでちょっとコミカルな役柄。後の功夫映画で見せるユーモラスな主人公の片鱗が見られる。


ブルースにはコメディアンの才能もあったと思わせる作品です。


人海孤鴻】1960年公開。子役最後の作品で18歳の主演作。「細路祥」以降、積み上げた出演映画の経歴が集約。


日中戦争のさなか、ある中年の男は家族を失う。戦後、男は独力で孤児院を創設。その孤児院に不良少年が飛び込んでくる。


不良少年を演じるブルースは、不良として強がる少年の危うさ、自分を分かってもらえないジレンマなどを熱演。


孤児院長の男と少年が生き別れた親子だと分かり、2人が抱き合うシーンは感動的。


四方田さんは、ブルースが子役として出演した作品の中での傑作と評価しています。


★子役で磨いた演技を引っ提げて米国へ


四方田さんは作品を紹介しながら、当時の香港映画界の状況や歴史なども説明しています。


これを土台としたブルースの出演映画の背景がよく分かって面白いんです。


さらにブルースが出演作で、戦後の混乱した社会を背景に家族の再会と回復、孤児の階層的救済のための物語を演じたと分析。


さまざまな子供&少年の姿を披露したブルースの演技を高く評価しています。


一方で子役最後の作品となった「人海孤鴻」以後も俳優を続けていたら、その後の功夫映画の傑作は生まれなかったと言及。


子役のイメージのまま、俳優として成熟するのはとても難しいとも力説。


美空ひばりさんや吉永小百合さんなど、子役から本格的な俳優になったタレントさんの例をあげて説明しています。


ブルースが映画スターとして成功したのは、米国へ渡りアクションスターという自己を確立したのが理由だとしています。


次項では米国に渡ったリーの苦闘の日々を紹介します。


3.截拳道(ジークンドー)創始と米ハリウッドでの苦闘

★シアトルで武道家デビュー


警察もマークするほどのケンカ屋ブルース・リーは1959年、米国に渡ります。


所持金は親から渡された100ドル。父親の知人が暮らすシアトルで、その知人が経営する中華料理店などでアルバイトしました。


働く一方で勉強もがんばり、ワシントン大学哲学科に進学しました。


武道家としての米国デビューも果たします。近所の公園や路地で鍛えた技を披露したり。


挑戦を受けた日本人空手家と戦って、わずか11秒でKO。シアトルのイベントでも元空軍でボクシングのへビー級王者もKO


さらに多くの武道家に挑戦しては倒し、リアルファイトでの実戦も続けたんです。


その強さがシアトルで知られるようになり1962年、中華街で功夫を教える道場「振藩国術館」を創設。


道場といっても、近所のスーパーのガレージを借りたもの。集まってきた道場生はアジア系やヒスパニック系、黒人など。


白人社会だった当時の米国では、非主流だった人たちでした。


★米国社会で中国文化をアピール、そして截拳道へ


白人社会だった米国で、ブルースは異国人。異文化からやってきたエイリアンでした。


ブルースの背後にある中国文化は、米国社会にとって異質。未知のモノでした。


さらに武道でも、米国社会で認知されているのは日本の柔道と空手。中国拳法は「はっ? 何それ⁉️」って感じ。


米国で生きるために中国人である自分を認めさせたい。そのためには中国文化、拳法が意義あるモノだと示さないといけない


そのためブルースは大学を中退して武道に専念。1964年の国際空手選手権大会に参加して演武を披露。


近距離から大男を押し倒すパフォーマンスを披露して喝采を浴びました。


一方で著作活動も展開。1963年に「基本中国拳法」を刊行。写真も交えた教則本的な内容で拳法を広める試みでした。


そして1966年。自身の拳法とほかの打撃系格闘技の要素、哲学的な思想も体系化した「截拳道(ジークンドー)」を創始しました。


ブルースは米国社会ではマイノリティーでした。さらに米国での中国人社会でも「白人の血が流れている」と白眼視されていたんです。


中国文化の拳法を他国人に教えるのはどうなのか」とも指摘されたり。


ブルースは「二重の孤立」状態に置かれていた。そこから脱却する手段なのが截拳道。知人への手紙で截拳道をこう説明しています。

流派の違いを無視した中国のマーシャルアーツ、形式化をこばむアート、伝統から自由なアート。

ブルースにとって截拳道は民族や文化、各武術を超越して解き放つモノだったんです。


★截拳道を広めるためにハリウッドへ


国際空手選手権大会で演武を披露した映像がテレビプロデューサーの目に止まり、ブルースは米国の芸能界へ進出します。


1966年。テレビの連続アクションドラマ「グリーン・ホーネット」にレギュラー出演。


ブルースは悪を退治する主人公ブリットの助手「カトー」役で登場。米国のお茶の間では初めてとなる功夫を披露しました。


カトーのキレまくる功夫にお茶の間は大興奮。一躍人気者になって、たくさんの武道大会で演武を求められました。


さらにはハリウッドの有名俳優や監督が、ブルースを功夫の師匠として弟子入り


名優スティーブ・マックイーンジェームス・コバーンらを指導しつつ、そのツテで映画などの端役武術指導を務めたんです。


これを追い風として、ブルースはテレビや映画の功夫企画を立案。自分が主人公を務めるのを夢見て企画案を売り込んだんです。


★乗り越えられなかった「中国人」という壁


ブルースは映画の企画を立案してハリウッドに売り込んだけど、不発


1971年にはワーナー・ブラザースが「ウォーリアー」(燃えよ!カンフー)という連続テレビドラマの企画を立ち上げ。


中国人の功夫使いが主人公で、ブルースに武術指導や助言を求めてきました。


ブルースは自分が主人公に起用されることを期待したけど、結局キャストから外されてしまいました。


サンフランシスコ生まれのブルースにとって、米国は生まれ故郷。でも白人社会でのマイノリティー=中国人という事実を越えられなかった。

自分がどうしても受け入れられなかったと思い知らされる。これは決定的な挫折であった。

四方田さんはそう分析しています。

「グリーン・ホーネット」で人気となったカトー役でも、「従順な東洋人」「無口な従僕」という設定がガマンならない。


ハリウッドがブルースに与える処遇は、アジア人の端役や武術指導員だけ。


米白人社会の中に存在する「中国人の壁」を乗り越えられなかったんです。


ハリウッドで「ブルース・リー」という確立した自己を表現することに挫折


ブルースは活路をもう1つの故郷・香港に見出そうとするんです。


4.アクション映画史に刻まれた5つの功夫映画と評価


★「ドラゴン危機一発」ブルースと香港映画界が激突


香港に戻った後のブルース・リーは、彼の代名詞となる5つの功夫映画に出演。世界的なヒットを飛ばしました。


ここからは、四方田さんの5作品についての解説を紹介していきます。


1971年。ブルースは香港で新設された映画制作会社「ゴールデン・ハーベスト」と映画2本で1万5000香港ドルという出演料で契約。


当時の米ハリウッドの水準ではメチャ安すぎる値段で、功夫の弟子のコバーンらから断れと忠告されたそうです。


でも米国映画界で挫折し経済的にも困っていたため、香港からのオファーを受けたんです。


その第1作が「唐山大兄」。日本語タイトルは「ドラゴン危機一発」。


ドラゴン危機一発】1971年(日本では1974年)公開。興行収入約320万香港ドルを記録した大ヒット作。

舞台はタイ。中国(香港)人が経営する製氷工場に本国から流れてきた主人公チェンが務める。

製氷工場は隠れみので中国人ギャングが経営する麻薬工場。告発しようとした従兄弟や仲間たちが殺されチェンの怒りが爆発。

世界中にコミュニティー(中華街)を作り生活している、在外中国人の尊厳がテーマです。

ブルースは作品の演出をめぐって殺陣師(演出家)と激突しました。


殺陣師は京劇出身で優雅な身のこなしが信条。見栄えのいいハイキックなどを多用。


跳躍シーンではトランポリンを使い、敵役の頭上を飛び越えたりする演出がなされました。


そのためパートごとに撮影し、パートをつなぎ合わせて編集していました。


これにブルースは反発。実戦では確実にダメージを与えられるローキックが有効大跳躍は実戦の場ではありえないからです。


実戦的な格闘シーンを主張したブルースは、激しく対立した末に演出の主導権を獲得。


エンディングのラストバトルは長回し撮影となり、実戦的な戦いが続くリアルファイトが展開。


映画の中でも自身の截拳道を表現し、リーの実戦的でリアルな格闘シーンが世界に初めて登場した作品となりました。


★「ドラゴン怒りの鉄拳」抗日ナショナリズムを表現


「ドラゴン危機一発」の大ヒットを受けて制作された第2弾が「精武門」。日本語タイトルは「ドラゴン怒りの鉄拳」です。


ドラゴン怒りの鉄拳】1972年3月(日本は1974年7月)公開。約400万香港ドルを稼いだ大ヒット作です。

舞台は1908年の上海。租界で暴威の限りを尽くす日本人が道場「精武門」を迫害。ブルース演じる主人公が怒りの鉄拳をふるう。

当時の上海では迫害された中国人による抗日運動が盛んでした。映画では中国人の尊厳を守るために戦う武術家の姿が多く描かれました。

この作品からブルースが制作に参加。代名詞である「アチョ〜」の怪鳥音ヌンチャクアクションを導入。


20人の日本人たちとの対決では、リーは円を描くように動き画面を支配。さらにヌンチャクの回転運動もミックス。


ヌンチャクのヒュンヒュンという音が緊張感を増し、格闘シーンの迫力が倍増。


一方でロシア人武術家との対決では、両腕を開いてクルクルと回転。これをスロー映像で流し東洋的な神秘性を演出。


さらに敵役を倒した直後の表情の変化怒りの表情は次第に後悔悲しみへと変わっていく。


中国人の尊厳を守るため鍛えた拳で、人をあやめた後悔やるせなさを表現。これもブルースの代名詞の1つになりました。


★「ドラゴンへの道」ヨーロッパとの対決


前2作の大ヒットを受けて制作された第3弾が「猛龍過江」。日本語タイトルは「ドラゴンへの道」。


ドラゴンへの道】1972年12月(日本は1975年1月)公開。香港映画初の欧州ロケ作品です。

舞台はローマ。地上げ屋に嫌がらせをされている中華料理店の助っ人として、ブルース演じる主人公ロンが香港からやってくる。

ロンは田舎出身でイタリア語はダメ。失敗ばかりだけどナイスガイ。拳法で地上げ屋のチンピラを秒殺するほどの腕前。

嫌がらせはエスカレート。ロンは地上げ屋が雇った米国人空手家とコロッセオで対決する。

見どころは田舎青年にふんした演技。ちょっととぼけた、コミカルな雰囲気。ブルースの芸域の広さが楽しめます。

一方で格闘シーンはバツグン。欧州との対決がテーマで、ボクシング風フットワークを取り入れスピード感と躍動感が増しています。


そしてコロッセオでの空手家との対決シーン。空手の達人を演じるのは米国の俳優で武道家のチャック・ノリス


巨体のノリスはパワーで押す一方で、リーはスピードで対抗。3秒間でひざ、腹、肩、首、顔と連続5段蹴りを披露!


最後まで闘志を失わず体に組みついて力尽きたノリスの体に、空手着を静かにかぶせて両手を合わせる。武道家への尊敬心を見せるんです。


ノリスとの格闘シーンは、ブルース・リー作品の中でも最高と評価されています。


そして西洋の格闘技を象徴するコロッセオで、白人の武道家を倒す。ブルースが截拳道を創始して目指した中国拳法の優位性を象徴する名シーンです。


★「燃えよドラゴン」ハリウッドと組んだ傑作


ブルースが出演した前述の3作品が香港で大ヒットしていることを知ったワーナー・ブラザースが、手のひら返しで出演をオファー。


ブルースは米国での屈辱をはね返すべくオファーを了承し、制作されたのが「龍争虎門」。日本語タイトルは「燃えよドラゴン」。


ブルースがハリウッドと組み主演した唯一の作品です。


燃えよドラゴン】1973年7月(米国は8月、日本は12月)公開。世界中でヒットし、ブルース・リー&功夫ブームを作った作品。

舞台は香港。事業家ハンが所有する島で悪事を犯している情報を得た国際情報局は、島で武術トーナメントが開催されると知る。

情報局は少林拳の達人リーにトーナメントへの参加と島の内偵を依頼。リーは島で武術家と戦いつつハンの悪事を暴く。

ストーリーの雰囲気は007シリーズという感じ。でもブルースのアクションがすべてを凌駕しちゃう大傑作です。

ただ撮影の間、ブルースは持病の背中の痛みに加え、米国時代の屈辱感からのいら立ち不眠脱水症状に襲われます。


さらにアフレコの最中に倒れ、高熱呼吸困難半昏睡状態に陥ったほど。前3作と比べると筋肉が少し落ちた状態で撮影を続けました。


格闘シーンでは体調不良が影響してか戦い続けるシーンより、一瞬で勝負がつくシーンが多い。


でも、その瞬殺ぶりがスゴい。前3作品の集大成的な戦いぶりを披露しています。


截拳道の哲学・思想面もスクリーンに反映させています。ストーリー冒頭で弟子の少年に稽古をつけるシーンで口にした名セリフ


考えるな、感じろ」(Don't think ! Feel)


自分がどう攻撃するかなんて考えない。相手がどう動いてくるかを感じ、自然に、そして的確に対応できることが大切ー。


まさに截拳道の理想境地截拳道の真髄を名セリフで観客に伝えているんです。


でもブルースは映画が公開される直前の1973年7月20日、香港で、32歳の若さで急死後述)。


ブルースにとってこの作品は、最後の主演作となりました。


★「死亡遊戯」生前のフィルムと代役で制作された〝神話〟


「ドラゴンへの道」の撮影後、ブルースが企画を立案。格闘シーンを25分ほど撮影したが「燃えよドラゴン」の撮影のため企画は中断。


ブルースの急死から5年後、ブルースの代役で撮影したフィルムと以前撮影した25分の格闘シーンを編集し制作したのが「死亡遊戯」です。


死亡遊戯】1978年公開。世界でヒットしブルース・リーブームを復活させた作品だけど、四方田さんは「悪名高き作品」と評価しています。


国際シンジケート組織は、有名スポーツ選手や俳優を脅して終身契約を交わし暴利を貪っていた。


組織は世界的アクションスターのビリーと恋人の歌手アンにも契約を迫るが、2人は拒否。組織はビリーを暗殺する。


だがビリーは命を取り止め、自分が死んだことにして組織への復讐を狙う。組織はビリーの生存を知り、アンを誘拐。


アンを救うためビリーは組織のアジトの五重塔に乗り込み、各階で待ち構える武道家と戦う。


制作側は25分のフィルムから約15分を採用し前後のストーリーを創作。ブルースの生前の4作品から映像を引用したり。


体型が似ている代役ユン・ピョウなど)を使ったり、夕暮れや夜のシーンを増やして顔をあいまいにしたり。


四方田さんは「痛ましさと稚拙さ」が印象に残るとバッサリ。


一方で25分のフィルムを使った五重塔の格闘シーンでは「ドラゴンへの道」のころのブルースのキレキレなファイトが展開しています。


各階ごとに待ち構える武道家たちを次々と打ち倒していく姿がカッコよくて、ブルース・リーの人気を再燃&〝神話化〟させた作品です。


5.補足・さまざまな死因説について


ブルース・リーの死因をめぐって多くの説が飛び交った


★わずか32歳で急死


ブルース・リーは「燃えよドラゴン」公開直前の1973年7月20日、「死亡遊戯」の共演女優の香港の自宅を訪問。


その際に頭痛を訴え、鎮痛剤を飲みベッドで休んでいたそうです。でも昏睡状態となり搬送先の病院で死亡が確認されました。


享年32。香港とシアトルで営まれた葬儀には多くのファンや截拳道の弟子たち、映画関係者が集まり別れを惜しみました。


一方で、司法解剖で死因が突き止められ「脳浮腫」と公表されました。


ブルースの脳は1400グラムから1575グラムに増大し、頭の中の圧力が高まって脳幹を圧迫したことで死に至ったとされています。


脳浮腫は、脳に異常な量の水分がたまり膨らんでしまう状態に陥ること。


ただブルースの場合、脳浮腫となった原因が分からず、死因をめぐってさまざまな説や憶測が飛び交いました。


そのため香港政庁は1973年9月、死因究明の裁判を行いましたが、判決は「死因不明」。結局、脳浮腫の原因は分かりませんでした。


四方田さんは著書で、脳浮腫の原因は過激すぎる武道家&俳優人生での過労と推測。さまざまな説や憶測を否定しています。


ただ死因をめぐる説や憶測が興味深いので、ここからは補足として主な死因説をピックアップして紹介します。


ブルース・リーのヌンチャクは秀逸です


★陰謀説から呪い説まで駆けめぐる


マリファナ説】司法解剖でリーから微量のマリファナ(大麻)が検出されたことから、麻薬が死因とする説。


ほかにも覚醒剤服用説や、背中の痛みを抑えるための筋弛緩剤が死因とする説も飛び交った。


陰謀・暗殺説】怨恨により裏社会、今でいう反社勢力に暗殺されたという説。


香港や欧米の中華コミュニティーでは、他国人に中国文化を象徴する拳法を教えるブルースに対する批判・怨恨の声が多かったため。


夜の女性による犯行説】〝夜の仕事〟で女性がリーに媚薬を飲ませた結果、ブルースが自制心を失い暴力をふるった。


身を守るために女性がブルースの命を奪ったとする説。


リー家の呪い説】ブルースの息子でアクション俳優ブランドン・リーの不可解な事故死によるもの。


ブランドンは自身のヒット作「クロウ/飛翔伝説」の撮影中、空砲だったはずの銃から発射された実弾が当たり、28歳で死去


さらにブルースの両親が「息子には子供のころから何かが取り憑いている」と話していたというウワサが拡散。


両親は「女の子の名前でブルースを呼んでいた」とされる。その理由はブルースが生まれる前に息子を亡くしていたため。


中国では、息子を男の子の名前で呼ばなければ、男の子の魂を盗もうとする悪霊を混乱させることができると信じられていたそうです。


ブランドンの事故死と両親にまつわるウワサが合体して「リー家の呪い説」が発生したんですね。


★脳浮腫の原因に対する新説が登場


最近では脳浮腫の原因とする新説が発表されています。


医学雑誌「クリニカル・キドニー・ジャーナル」2022年12月号で、マドリード自治大学の研究チームの論文が掲載されました。


論文では、ブルースの脳浮腫の原因は「腎臓が過剰な水分を排泄できなくなったことが死を招いた」と説明しています。


死亡直前のブルースは固形物を食べられず野菜ジュースなどを飲み、のどが乾くマリファナの服用など水分を過剰摂取する要因があったと指摘。


腎臓が過剰に摂取した水分を排泄できず、低ナトリウム血症となり脳浮腫が発生。数時間で死に至ったーと推測しています。


研究論文は過剰な水分摂取に対する警告の意味も込めて発表されたようです。


一方で天国へ旅立ってから50年近くたっても、ブルース・リーの人気が健在であることを示すエピソードです。


まとめ・ブルース・リーの生涯が分かって手軽に読める名著


ブルース・リーの勇姿がスクリーンで復活


ここまで「ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独」の魅力的な内容について紹介してきました。


ブルース・リーの生涯や武道家、アクションスターとしての評価、主演映画の評価などが分かる、名著の読みどころをピックアップ。


伝説の武道家が今もファンを魅了する秘密として、


  1. 香港の最強ストリートファイター
  2. 香港映画界では演技派の名子役
  3. 截拳道(ジークンドー)創始と米ハリウッドでの苦闘
  4. アクション映画史に刻まれた5つの功夫映画と評価
  5. 補足・さまざまな死因説について

上記の5つの魅力について紹介&解説しました。だから、


ブルース・リーって本当に強かったんですか? 彼のことが分かる入門書を読んでみたい


ブルース・リーのアクションと演技、主演映画の評価はどうだったんですか?


ブルース・リーは若くして亡くなって死因説がいろいろあるけど、本当はどうだったの?


そんな疑問がある人には答えが分かる、うってつけの伝記ブルース・リーの入門書です。


この記事を踏まえて作品を読めば、ブルース・リーが大好きになるはずです。


またブルース・リーの没後50年を記念して「ワールド・ブルース・リー・クラシック2023」が7月14日に開幕。


ブルースが主演した香港功夫映画の4Kリマスター版が全国の映画館で公開。


また「amazon」の「prime video」でも、記事で紹介した功夫映画が無料で視聴できます。

この機会を逃さず、ぜひブルース・リーの世界を楽しんでください。


当ブログでは、ほかにも面白い格闘技小説などを紹介しています。ぜひご覧ください。


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