UWFのファイトスタイルは昭和・平成のプロレスで大人気 |
人気絶頂の中での解散、分裂…何が起きたのか真実が分かる
昭和から平成にかけて、日本の格闘技界で一大ムーブメントを起こし社会現象にまでなったプロレス団体「UWF」。
従来のプロレスのファイトスタイルと一線を画した、引き分けなしの完全決着スタイル。
ロープに振られたら戻ってくるロープワークはなし。打撃、スープレックス(投げ)、関節技での〝リアル〟な攻防。
ワタシら当時のファンは「UWF信者」と化して〝リアルファイト〟に大声援を送りました。
でも人気絶頂の中にあった1991年1月、UWFは解散。選手たちは3派に分裂。ファンは困惑しました。
「何で⁉︎何で解散したの? 誰のせいなの?」
「解散した理由や裏の事情を教えて⁉︎」
悲痛な声がわき上がり、令和の今でも「解散した原因や理由が知りたい!」という声があふれています。
そんなファンたちの悩みに応えているのが「UWF暴露本」。
UWFで活躍した選手たちや団体フロント陣らにインタビュー。当時のくわしい裏事情が明かされてメチャおもしろい。
でもUWF暴露本は令和に入っても出版される人気ジャンル。たくさんあって千差万別。どれを読めばいいのか迷っちゃう…。
この記事では数多くあるUWF暴露本から団体の解散、崩壊に至った理由や裏事情が分かりやすくて楽しめる3作品をチョイス。
- 完全版 証言UWF1984ー1996(著者・前田日明さん、船木誠勝さんほか)
- ブッカーKが見た激動の時代 UWF、そしてPRIDEの崩壊(著者・川崎浩市さん)
- 1984年のUWF(著者・柳澤健さん)
上記の3作品について紹介、解説します。
この記事を読めば団体が崩壊、解散した理由や裏事情、格闘技スタイルが生まれた理由などが分かります。
さらに作品のページを開いて、くわしい理由や事実を読みたくなりますよ。
UWFって、どんな団体だったの?
UWFの格闘技路線は社会現象にまでなった |
UWFは第1次、第2次の2期にわたって「格闘技プロレス」として活動した団体。
新日本プロレスで活躍し、後に「格闘王」と呼ばれた前田日明さん(現THE OUTSIDERプロデューサー)がエースとして君臨。
さらに「平成の格闘王」高田延彦さん(現RIZINキャプテン)、「関節技の鬼」藤原喜明さん(現フリー)。
初代タイガーマスクの佐山聡さん(修斗創設者)、「キックの狙撃手」山崎一夫さん(現解説者)が第1次UWFをけん引。
第2次からは「ハイブリットレスラー」船木誠勝さん(現フリー)、「プロレス王」鈴木みのるさん(現パンクラスMISSION)が参戦。
第1〜2次にわたり昭和&平成のプロレス界で一大ムーブメントを起こしました。
「真剣勝負のプロレス」としてファンの支持を獲得。プロレスには冷たかった一般紙なども取り上げる社会現象になりました。
とはいえ団体が活動したのは30年以上前。今のファンは名前しか知らないかもしれません。
まずはUWFについて大まかに説明。長くなりますがUWFの波瀾万丈の歴史が楽しめますよ。
★第1次UWF(ユニバーサル・レスリング連盟)
団体誕生の発端は、新日本プロレスのエースで代表者・アントニオ猪木さんと右腕で営業本部長だった新間寿さんでした。
テレビの放映がつき、海外タイムスがスポンサーに。経営が上向く中、海外タイムスの親会社、豊田商事事件でご破算に。
興行数を減らして「月1回の開催」を主張し格闘技路線を押し進める佐山さんに、前田さんら選手たちと営業サイドが対立(❶)。
1985年9月2日の大阪大会で前田さんが佐山さんにセメント(真剣勝負)を仕掛け反則負け。以後、前田さんは欠場(❷)。
9月11日の後楽園ホール大会を最後に団体は活動停止。佐山さんは退団し総合格闘技シューティング設立へ。
★新日本との提携時代
大阪大会時から進められた新日本との提携が12月にまとまり、1986年1月から前田さん、藤原さん、高田さんらが参戦。
猪木さんへの挑戦権をかけた「UWF代表者決定リーグ戦」をはじめ、両団体の全面抗争がイデオロギー闘争として大人気に。
1987年に維新軍の長州力さんが復帰。猪木さんら旧世代を相手に、前田さんや藤波辰爾さんに共闘をアピール。
長州さんが一方的に旧世代との戦いの終結を宣言。前田さんとの確執が発生。
11月の後楽園ホール大会で、前田さんが背後から長州さんの顔面にキック。無期限出場停止処分に。
前田さんが処分解除の条件だったメキシコ遠征を拒否。1988年2月、新日本が前田さんの契約を解除しました。
関節技でギブアップ。〝リアルファイト〟に喝采が送られた |
★第2次UWF(新生UWF)
前田さんのもとに高田さん、山崎さんらが集結。5月の後楽園ホール大会で、わずか6選手で旗揚げしました。
第1次で佐山さんが模索していたUWFスタイルを踏襲。試合はシングルマッチ一本勝負が基本。
ルールも「決着はKO、ギブアップだけ」「ロープエスケープ3回で1ダウン。5ダウンでTKO負け」を定着。
新日本提携時代にテレビで流れたUWFスタイルが認知されていた下地があり、ファンは「真剣勝負だ」と支持し大人気に。
月1回で大会場での開催という興行スタイル。音楽やスモーク、レーザー光線などを使う画期的な演出が話題に。
チケットぴあで販売されるチケットは争奪戦に。テレビ放映がない不利を逆転して発売した大会のビデオが大収益をあげた。
1989年に藤原さん、船木さん、鈴木さんが新日本から移籍。11月に東京ドーム大会が大成功。一般紙に社会現象として取り上げられる。
スポンサーのメガネスーパーがプロレス団体「SWS」を設立。UWFとの提携話が一部で報道され選手側と経営陣に確執が生じる(❸)。
前田さんが経営トップの不正経理を主張。前田さんは5カ月間の出場停止(❹)。
1990年12月の松本大会終了後、船木さんの音頭で前田さんら全選手がリング上で万歳三唱し結束をアピール。
UWFが全選手の解雇とプロレス界からの撤退を発表。第2次UWFが崩壊。
★UWF3派に分裂
UWF選手会が発足。前田さんが主導し「第3次UWF」設立へ動きました。
1991年1月、前田さんの自宅で選手会議を開催。中堅・若手選手から異論が出て、前田さんが「解散」を宣言(❺)。
藤原さん、船木さん、鈴木さんらが「UWF(後にプロフェッショナルレスリング)藤原組」を設立。
高田さん、山崎さんらが「UWFインターナショナル」、前田さんが「リングス」を設立。「U3派」と呼ばれました。
長くなりましたが、ここまでUWFの大まかな歴史を紹介してきました。
ファンの方が最も知りたいことは❶❷❸❹❺の5項目に尽きると思います。
ここからは5項目についてくわしい「UWF暴露本」3作品を紹介していきます。
1.完全版 証言UWF1984ー1996
完全版 証言UWF 1984-1996 (宝島SUGOI文庫)
プロレス&格闘技ライターの方たちが、UWFに所属した選手たちやフロント陣、関係者らにインタビューした証言集です。
宝島社はこれまで3冊の証言集を出版。最初の「証言UWF 最後の真実」(2017年5月)が話題になりました。
さらに「ーー最終章 3派分裂後の真実」(2018年5月)、「ーー完全崩壊の真実」(2018年10月)。
この3冊を再編集し新しいインタビューを加えたのが「完全版ーー」です。
前田さん、藤原さんら選手やフロント陣。「週刊プロレス」元編集長のターザン山本さんら周辺関係者が28人が登場。
第1次&第2次UWFの裏事情や団体への思いを証言しています。
読んだファンの方には「各自の証言している内容がバラバラで、真相は藪(やぶ)の中」という声があります。
証言を整理し順序立てて読むと、共通の事実がつながって藪の中から〝真実〟が見えてくる。
これが数多くあるUWF暴露本から、この作品をチョイスした理由です。
ここでは❶❷❸❹❺の5項目について触れている証言を抜粋(ばっすい)して紹介します。
★前田日明さん
作品ではUWF立ち上げからのエース、代表者がトップバッターで登場。
【格闘技路線】当時のメジャー団体の新日本、全日本と同じスタイルじゃ勝てない。食べていくために取り入れた。格闘技路線を推進した佐山さんが「格闘技」「真剣勝負」を強調するためUWFルールを作った。だが佐山さんが次第に暴走。「格闘技」を強調するため興行は「月一回の開催」。地方興行は行わない。だが月一の興行じゃ収益が出ず団体が潰れる。【佐山さんと対立】営業側が佐山さんへの制裁を依頼。退社覚悟で佐山さんに1985年大阪大会でセメントを仕掛けた。
【経営陣の不正疑惑】発端は団体の株保有率。当初は前田、高田、山崎、社長、専務で「五等分」の約束。実際は「社長60%、専務30%、2人の夫人が5%ずつ」だった。1990年に弁護士を立てて「帳簿類、興行実績、株式の分配」の開示を要求。社長側が弁護士を名誉毀損で訴えた。法廷で経営陣が会社の金でマンションを購入しまくっていたことが判明。興行では船木、鈴木をメインにしたがっていた。
【選手会議】解散宣言後に不穏な空気を感じたため、選手に自宅へ集まってもらった。会議前に高田、山崎へ「自分を信じているか全員に聞きたい」「一人でもノーといったら解散という」と相談。「みんなを脅かすから2人でみんなをまとめてほしい」と頼んだ。ミーティングでは(中堅選手の)宮戸優光、安生洋二が「信じられません」と発言。「それなら解散だ」と宣言。
【選手会議】みんなで(第3次UWFで)がんばろうと思っていた。宮戸と安生が不満を抱いていたことに驚いた。前田さんは「俺のことが信用できるか」。宮戸と安生は「脅されているようで納得いきません」といい切っていた。2人があそこまで宣言したのは、前から綿密にやりとりしていたんじゃないか。自分はニュートラルだった。宮戸と安生が「前田さん抜きでUWFをやってほしい」と頼んできた。自分が望んだ「前田さんを含む全員でUWFをやる」ことは不可能だった。
【経営陣の不正経理】前田さんが「帳簿を見せろ」といっても見せず、熱くなった前田さんの発言をひそかに録音していた。【選手会議】前田さんが「解散」を宣言。熱くなった前田さんを「話が違う。みんなでやり直しましょう」となだめたが…。高田さんと「若い選手だけでもつなぎ止めてまとめよう」。それがUインターになった。
【第1次での佐山さんとの対立】佐山はいろんなルールを第1次UWFに持ち込んだが、狭い方向に行き出した。【藤原組設立】前田は俺が「新生UWFの末期からメガネスーパーと動いていた」といっているが全然違う。最後の松本大会終了後、メガネスーパーの田中八郎社長から「部屋別制でやるから藤原部屋を作らないか」といわれ断った。解散後に船木、鈴木がきて「何とかしてください」と頼まれた。田中社長に相談し「金を出すから団体を作れ」といわれた。
【不正経理】後援者に「第三者的に見た弁護士の話を聞いて(前田さんか経営陣の)どっちが正しいか考えて」といわれた。(弁護士の話を聞いて)自分は前田さんが正しいと思った。【選手会議】(反抗した)宮戸さんは何年たっても名前さえ呼ばれず新弟子扱い。発言権がほしかったようだ。宮戸さんと安生さんを説得しにいったら「若手だけでやりたい。知り合いの芸能プロに頼めば試合ができる」と誘われた。藤原さんに事情を説明したら「メガネスーパーの社長と話がついて、お前ら全員(若手)引き受ける」といわれた。若手だけでやるより安心だと考えた。宮戸さんに伝えたら「藤原さんがいたら新しいことができない」といわれた。その後、宮戸さんに「高田、山崎さんと話をした。前田さん抜きでUWFをやらないか」と再び誘われた。もう藤原さんの誘いを断るわけにはいかない。早く試合がやりたかったので鈴木と藤原組を選んだ。
- 第1次では佐山さんの強行な格闘技路線に選手&営業サイドが反発。
- 第2次での不正経理はメガネスーパーとの提携を進め、経理面で不透明な経営陣への不審と不満から告発された。
- 選手会議では前田さんの方針に不満を持っていた中堅・若手が反旗をひるがえした。
- 前田さんが冷静になる間に、各選手が方向性を決めてそれぞれまとまっていった。
各証言を続けて読んでみると「なるほどな」と思いませんか?
ただ、UWFスタイルの方向性を作った佐山さんと第2次UWFの経営陣は登場せず。いい分を読みたいところです(後述)。
第2次UWF経営陣の不正経理疑惑に関しては、営業担当者の方が証言。内容が一部かぶるので次の項目で紹介します。
2.ブッカーKが見た激動の時代 UWF、そしてPRIDEの崩壊
著者は川崎浩市さん。2017年10月に双葉社から出版されました。
第2次UWFで営業を担当。U3派分裂後も藤原組、リングスなどで営業、ブッカー(選手との交渉)も務めていらっしゃいました。
第2次UWF時代は主にチケット営業、大会の運営などを担当。前田さんら選手たちや経営トップと仕事をされていました。
「完全版 証言UWFーー」にも登場。ご自身の著書でも当時の団体フロントの状況が分かる貴重な証言を残しています。
新日本に在籍していたジョージ高野さんから「前田がメガネスーパーへ行くって聞いたけどホント?」と電話があった。それ以前にメガネスーパーの田中社長、前田さんと会食したことがあった。その席で、田中社長が「UWFひとつだけじゃ将来面白くない。ライバル団体を作ったほうがいい」と切り出した。「私が新しい団体を作ってあげます。ライバル団体には武藤敬司選手なんかどうですか」と話していた。私は「神社長が何かしらすでに動かれていることなんだ」と理解した。会食後、前田さんは「武藤じゃなあ…」とポツリ。武藤さんとはファイトスタイルや考え方の違いがあったようだ。ジョージ高野さんの電話で「(提携話が)動き出したんだな」と確信した。
そこに「メガネスーパーが作る新団体に藤原喜明らが参戦」という報道が流れ、社員が衝撃を受けたそうです。
経理は前田さんの関係者が調査。(社長、専務)2人の給料は前田さんらのファイトマネーよりはるかに高額だった。毎年倍になっていたらしく、最終的に社員の給料の10倍ぐらいになっていた。彼ら(社長、専務)が乗る車やガソリン代をはじめ、さまざまなことを会社の経費で落としていた。(団体の)後援者からは選手や社員が知らない間に不動産物件を会社名義で所有していたという話を聞かされた。
経営陣が帳簿を見せなかったのは、仕方のない理由があった。社員は経営陣を含めて5〜6人。ほとんどが朝から深夜まで仕事をしていた。地方営業に出ていたとき早朝の3、4時に専務から電話がかかってきた。社長も一緒に仕事をしていたということ。全員が毎日仕事に追われ、次の興行のことで手一杯。経理的なことは後回しになっていたと思う。
経営陣とともに仕事をされていた川崎さんだけに、証言には当事者感覚があふれて説得力があります。
川崎さんは「不正経理」に関して「なかったと思う」と発言されています。
経営陣が自身の給料を上げたのは「仕事をしている」というアピール。ただ前田さんらに後ろめたさもあったのではと推測。
前田さんらと対立が進んだ経営陣の「もう〝前高山(前田、高田、山崎)〟はいらない。船木がいれば大丈夫」との発言も明かしています。
さらに会社が某宗教関係の団体と契約。その団体からプロレス業界から一線を引くことをアドバイスされていたと指摘。
経営陣がメガネスーパーへUWFを譲ることを模索していた可能性を示唆。選手サイドが譲渡を疑っていたことも紹介しています。
川崎さんは選手たちと経営陣の間の立場として〝客観的〟に事態を振り返られている。著書は〝深い溝〟がよく分かる内容になっています。
第2次UWF後に参加した藤原組、リングス、そしてPRIDEの裏事情もくわしく証言。興味のある方はぜひお読みください。
経営陣では第2次UWFで専務を務めた〝当事者〟の一人、鈴木浩充さんが著書「ありがとうU .W .F 母さちに贈る」を自費出版されています。
同書では当時の団体の金銭の流れを説明し、選手側へ反論をされています。経営トップの主張に興味がある方は、ぜひご一読してください。
3.1984年のUWF
著者は柳澤健さん。「週刊文春」「Number」の編集者をへてノンフィクション作家として活躍されています。
「1984年のUWF」は「Number」で連載していたものを再編集、加筆して2017年に刊行されました。
1984年に設立された第1次UWF、さらに第2次UWFの裏事情などが明かされています。
特筆すべきことは、UWFスタイルを方向付けた佐山さん側の視点で第1次UWFの裏事情を描いていること。
ここまで紹介した2作品では登場しなかった佐山さんの「考え方」を代弁。一方で前田さんを厳しく批判。
それだけに前田さん自身が作品の内容に激怒。前田さんのファンからも厳しい声があがっています。
私も「前田さんに関しては手厳しいな」と。でもUWFに対する佐山さんの考え方がくわしく分かり、ホントに楽しめました。
ここからは作品で〝代弁〟される佐山さんのUWFの考えを紹介します。
★佐山さんの格闘路線について
レスラーになり〝プロレス〟を知る。タイガーマスクとしてプロレスの頂点に立ったが「真剣勝負の格闘技」を模索。フロントとの確執から現役引退。それでもプロレスを「真剣勝負の格闘技」に作り替えようと考え、対象がUWFだった。
そのため相手にケガをさせないようにキック用レガースを開発。「プロレスではない」ことを強調するルールも模索。ロープワーク、場外乱闘はなし。〝相手の協力が必要〟なハデな必殺技、ドロップキック、頭突きもなし。基本的にシングルマッチの一本勝負。勝敗はギブアップかKO。ロープエスケープ3回で1ダウン、5ダウンでTKO負け。
★選手たちや営業の反発に対して
経営悪化し営業が地方興行を増やせと主張する一方、地方興行で赤字が増えているとして興行は大都市で月1、2回と反論。1985年9月の大阪大会で、前田さんがセメントマッチ。「シューティング構想」が崩壊し、佐山さんは退団。「事態は収拾がつかない段階まで来ていた。UWFでシューティングを実践するのをあきらめ、リングを去る決心をした」
ワタシは佐山さんがシューティングを運営されていた1994年ごろにお会いしたことがあります。
「プロレスが真剣勝負だと思っていますか?」。そう聞かれ「真剣勝負ではないけど、プロレスが好きです」と応えました。
「プロレス」に対する認識の仕方を見極めて、対応を決めていらしたそうです。
佐山さんはシューティングを普及しようと尽力する一方で、プロレスファンを失望させないように気を使われていたんです。
そんな佐山さんのUWFに対する思いをもっと知りたい方は、ぜひ「1984年のUWF」をお読みください。
まとめ・多くの証言から浮かび上がるUWF崩壊の真実
UWFはプロレスから総合格闘技への橋渡し役だった |
ここまでUWFの解散、崩壊に至った理由や裏事情が分かりやすくて楽しめる3作品について紹介、解説してきました。
3作品に登場した人たちの証言は、それぞれの思いが加わってバラバラのように感じます。
この記事で整理した証言を読むと解散、崩壊への流れがつながる。さらに作品を読み込むと証言者の思惑がよく分かるんです。
また3作品では、UWFが真剣勝負ではなく〝勝敗が決まった試合〟。プロレスだったことも明かしています。
でも佐山さんが追い求めたように、UWFスタイルはファンの格闘技への目を肥やした。U崩壊後に訪れた総合格闘技の隆盛につながりました。
だからこそ「U信者」は、UWFが存続していたら選手たちは総合格闘技にどう立ち向かったのかを想像するんです。
そのため「解散したのは誰のせいなの?」「解散した理由や裏の事情を教えて⁉︎」。令和の今でも答えを追い求めているんです。
UWF崩壊の真実が知りたい方は、ぜひ3作品のページを開いてください。きっとナットク&マンゾクできますよ。
★UWFをきちんと終わらせたい
最後に、この記事を書こうと決めたきっかけを説明したいと思います。
私は前田日明さんのファンで、YouTubeの「前田日明チャンネル」を視聴しています。
こちらに山崎一夫さんとUWFについて対談している動画が4回シリーズであるんです。
記事でも紹介しましたが、「完全版 証言UWFーー」では第2次UWF崩壊の原因の1つとして「中堅・若手選手との溝」が語られています。
「溝」を象徴する事例として、前田さんが宮戸さんを「新弟子呼ばわりした」話。
動画では前田さんが「新弟子呼ばわり」の理由を説明。内容は書きませんが、人にはそれぞれ「理由」があるんだとナットクしました。
3派分裂後の選手たちは不仲が続きました。最近では和解し交流する姿がメディアなどで流れています。
唯一、没交渉なのが前田さんと高田さん。高田さんが設立したPRIDEがリングスの契約選手を引き抜いたのが原因といわれています。
山崎さんは第2次の状況を「選手たちもフロントも若くて、いろいろあった」と振り返りつつ、2人の間柄を気遣っている。
「またみんなで集まって、きちんとUWFを終わらせましょう」。そう前田さんに語りかけています。
ファンは熱狂させてくれた選手たちが解散したことが残念で、いまだに崩壊した理由を知りたがっている。
UWFを終えられていないんですね。
ファンを気遣う山崎さんの言葉が実現する日が来るのを、私は待ちたいと思っています。
当ブログでは、ほかにもプロレスマンガや格闘技本&音楽も紹介。ぜひごらんください。
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「完全版 証言UWF1984ー1996」は紙の書籍のみ販売中です。
ほか2作品はスマホなどにダウンロードすれば即読みできる電子書籍でも購入できます。
「ebookjapan」「BOOK☆WALKER」などの電子書籍ストアなら無料で試し読みができますよ。
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