野球マンガの第一人者の軌跡をたどる |
水島さんが成しとげた業績を解説する
「ドカベン」「野球狂の詩」「あぶさん」…。
たくさんの野球マンガを世に送り出した水島新司さんが2022年1月10日、肺炎のため82歳で亡くなりました。
1958年に貸本マンガの新人コンクールでデビュー。以後60年以上にわたって40を超える作品を執筆。
代名詞の野球ジャンルでは30作品超。まさに野球マンガの第一人者として活躍されました。
それだけに、各地から水島さんを惜しむ声がたくさん。
「水島新司さんをどう思いますか?」
「水島さんの思い出を語ってください」
「水島さんのオススメの作品を教えてください」
なんて質問の声もあふれています。
この記事では水島さんが成しとげた素晴らしい業績について注目。
- 「野球マンガ」というジャンル、表現方法を確立した。
- 「野球マンガ」への登場をプロ野球選手のステータスにした。
- 「女子野球」の可能性を広げた。
- 「野球」以外のスポーツの魅力を広めた。
4つの〝偉大な遺産〟を紹介、解説します。この記事を読めば「水島さんをどう思いますか?」という疑問が分かります。
水島さんの傑作を例にあげて解説するので、「オススメ作品」についても分かってナットク。水島さんの「野球マンガ」が読みたくなりますよ!
水島新司さんというマンガ家について
水島さんは野球の楽しさをマンガで世に広めた |
水島さんは1939年4月10日、新潟市で誕生。生家は鮮魚店でした。
市立白新中学から新潟明訓高校への進学を希望していましたが、家庭の事情などから断念。水産問屋で働きました。
「新潟明訓」は「ドカベン」で主人公・山田太郎たちが活躍する「明訓高校」。
「白新」はライバル・不知火守の「白新高校」に反映されています。
仕事後にマンガを描く日々を続け1958年、貸本マンガ「日の丸文庫」の新人コンクールに挑戦。
投稿作品「深夜の客」が特選二席に入りプロデビュー。
1970年から「週刊少年サンデー」で連載した「男どアホウ甲子園」が大ヒット。
1972年に「週刊少年マガジン」で「野球狂の詩」、「週刊少年チャンピオン」で「ドカベン」をスタート。
1973年から「ビッグコミックオリジナル」で「あぶさん」の連載を開始。野球マンガの第一人者の地位を獲得しました。
1983年に、これまで描いてきた高校野球マンガの集大成「大甲子園」を発表。
1995年から始めた「ドカベン プロ野球編」は「スーパースター編」など長期シリーズ化。2018年まで続きました。
2018年に発表した「あぶさん」の読み切りが最終稿。2020年12月1日、マンガ家から引退しました。
1.「野球マンガ」というジャンル、表現方法を確立した
水島さんのスゴイところは、高校、プロと野球界の熱い戦いを「これでもか!」というくらい描き切ったこと。
高校野球では「男どアホウ甲子園」「ドカベン」「一球さん」「球道くん」。
プロ野球では「野球狂の詩」「あぶさん」「ドカベン プロ野球編」(以下シリーズ)。
まさに傑作がズラリ。登場するキャラは立っていて、プレー技術やルールも細かくくわしく描かれてます。
【ドカベン】明訓高校野球部ナインがライバルたちと熱戦を展開するストーリーです。
主人公・山田太郎は右投げ左打ちのスラッガーで捕手。ずんぐりむっくりだけど「気は優しくて力持ち」。
豪快スイングから繰り出す打球は飛距離がバツグン。投手心理と配球の組み立てを読んでしとめる。
捕手としてもリードは打者心理や構え、表情を読む理論派。鉄砲肩。
デカい体をキュッと縮めて、ミットは大きく構える。「マトが大きい」から投手は投げやすい。
「こんなキャッチャーが欲しい」と思っちゃう理想的な選手です。
野手では殿馬一人。天才的なピアニスト。スポーツにはリズム感が必要ですが、これを体現する人。
抜群のリズム感から繰り出す「秘打」でヒットを量産。実にイヤな二番打者。
一方で、デタラメっぷりがおもしろい岩鬼正美。ウデっぷしが強い暴れん坊。ど真ん中の直球が打てない。
なのにトンデモないボール球をサク越えする「悪球打ち」の名手。
度が強いメガネをかけたり、お酒を飲んで酔っ払って球がいくつにも見えるようにして「悪球」を生み出す〝知恵者〟です。
クセ者がそろっていて、だれを主人公にしてもストーリーが成立しちゃうほど。
【野球狂の詩】主役の一人・岩田鉄五郎。プロ野球・東京メッツの左腕投手。80歳をすぎても兼任監督で投げる鉄腕。
「にょほほ〜」と叫びながら繰り出す球はハエが止まるほど。でも200勝400敗。球界の宝です。
【あぶさん】主人公は景浦安武。南海入団以来、ダイエー、ソフトバンクと37年ホークス一筋のスラッガーで酒豪。
試合中でも飲んでいる代打のスペシャリスト。打席に向かう際、バットに酒を吹きかける「酒しぶき」が代名詞です。
★説得力のあるプレーの表現方法がスゴい
個性的なキャラたちのプレーする姿は迫力満点。秘密は独特の表現法にあります。
例えば、投手。球をリリースする瞬間の腕が、弓のようにしなっています。
プロ野球のある投手コーチは指導する際に「釣りのキャスティング」をイメージさせてました。
「釣りザオを振るときサオをしならせて振ると仕かけが遠くまで飛ぶだろう⁉︎あれと一緒だ」
胸をはり、肩をキレイに回してヒジをうまく使うと腕がしなるように振れる。
その教えのような腕のしなり。「グイーン」「ガバーッ」「シュッ」という効果音を添えて、力強さを出してるんです。
そして打者。球に向かって踏み込む足がバッターボックスの土にグサッ。やはりしなってます。
足をしならせてつくる「壁」でスイングは腰回転。しなる腕とバットのスイングは力強くてシビレるんです。
「デュアルマウンド」など野球マンガが人気の作家、水森崇史さん。ツイッターで水島さんの「凄いこと」を力説。
「弓みたいにしならせることで」「勢いと力強さ2つを両立してんの!!」
「人の動きにおける体重や力の方向表現した描き方をもう50年も前から発明しまくってた」
そう評価されているんです。
★高校野球マンガの集大成「大甲子園」
「ドカベン」の明訓高校、「男どアホウ甲子園」の南波高校、「一球さん」の巨人学園、「球道くん」の青田高校。
各強豪校が甲子園で一堂に会したら、どこが優勝するのか。どこが最強なのか。これを実現させたのが「大甲子園」です。
1983年から1987年まで週刊少年チャンピオンで連載(単行本は全10巻、文庫本17巻)。
水島さんが生み出した人気キャラが集結。いまではポピュラーなクロスオーバー作品の先駆けです。
水島さんが各連載をこなし温めていた構想で、各作品のストーリーを高校3年春の甲子園で終了させていました。
そして「大甲子園」で各作品のキャラたちが高校最後の夏に甲子園で激突。
「野球狂の詩」の岩田鉄五郎らのキャラもスタンドで観戦するカタチで登場します。
ストーリーは「明訓」と山田太郎に「一球さん」の真田一球、「球道くん」の中西球道らが挑む図式です。
よく作品が実現したもんだと思います。なにせ各作品の版元が違うんですから。
「ドカベン」は秋田書店、「一球さん」「球道くん」「男どアホウ甲子園」は小学館、「野球狂の詩」は講談社。
各社は利害を抱えながら調整。野球マンガの第一人者の集大成という意向を尊重したんでしょうね。まさに奇跡の作品です。
2.「ドカベン」への登場をプロ野球選手のステータスにした
「ドカベン」シリーズでは、「大甲子園」を終えた選手たちがプロ入りして活躍する「プロ野球編」などがあります。
「プロ野球編」は、1995年から2003年まで週刊少年チャンピオンで連載(単行本は全52巻、文庫本は全26巻)。
山田は西武、殿馬はオリックス、岩鬼は福岡ダイエー(現ソフトバンク)、エース里中智は千葉ロッテ。
不知火らライバルたちも実在の球団に入団。各チームの主力としてペナントレースで戦います。
ストーリーには実在のプロ選手も登場。多くの選手は「ドカベン」を読んでいた野球少年たちでした。
「プロ野球編」が誕生するきっかけは、当時は西武に在籍していた清原和博さんが「ドカベン」の文庫版の解説を務めたこと。
水島さんは「ドカベン」で四番打者の心得を学んだという清原さんに「続きを描いてほしい」と頼まれたそうです。
当時オリックスでプレーしていた、元メジャーリーガーのイチローさんも「殿馬と一緒にプレーしたい」と頼み込んだそうです。
★松坂大輔さんが感謝
連載を決意した水島さんは1995年に「プロ野球編」をスタート。3年後の1998年、山田がいる西武に大スターが入団。
「平成の怪物」松坂大輔さんです。
1997年の夏の甲子園で熱投。国民的スター選手になりましたが、子供の頃から「ドカベン」が愛読書。
自身もストーリーに登場し、山田とバッテリーを組んだことを喜んでいました。
だから水島さんが亡くなった際、ツイッターに熱い思いを投稿。
「明訓打線を自分ならどう投げたら抑えられるか想像した」
「今だからこそ子どもたち、指導者たちに読んでほしい野球漫画だと思います」
ほかにもソフトバンク球団会長の王貞治さんら、多くのプロ野球関係者から追悼の言葉が贈られました。
プロ野球選手たちにとって、水島作品に登場するのは選手としてのステータスだったんです。
3.「女子野球」の可能性を広げた
「野球狂の詩」では、プロ球団「東京メッツ」と大エース・岩田鉄五郎を始め個性的なキャラのストーリーが展開。
後半からもう1人の主役、ヒロインが登場。「日本のプロ野球初の女性選手」水原勇気です。
勇気は高校時代に女子野球部で活躍したが、引退後は獣医を目指していた。素質を見抜いた岩田鉄五郎がスカウト。大学入試の勉強中だった勇気は断り続ける。「1年だけでいいから俺の夢を叶えてくれ」と涙を流す岩田の訴えにプロ入りを決意。
猛者どもと戦い、打ち取るために水島さんが勇気に与えた設定が「抜群のコントロール」と「左のアンダースロー」。
球威はないけど制球はピンポイント。勝ち試合限定で9回2死2ストライクの場面でのストッパー。
「3つ目のストライク」を奪うために編み出したのが「ドリームボール」。
ボウリングで練習してマスターした極端な下手投げ。フォークの握りで投じた球はホップ、揺れながら落ちる変化球。
一定して投げるのはむずかしいけど「あるぞ」「くるかも」と打者に考えさせ迷わせる効果もあるんです。
★女子野球のパイオニア
東京メッツのマウンドで力投する勇気の姿は、女子選手たちに勇気を与えました。
日本の女子野球の歴史は古く、1910(明治43)年に佐伯尋常小学校の女子部が国内初の野球チームを発足。
1947(昭和22)年に「横浜女子野球大会」が開催。1950(昭和25)年には「日本女子野球連盟」がプロリーグを発足。
「プロ野球」と比べ迫力不足、ショービジネス的な弱さなどから「連盟」は消滅しました。
平成に入った2002(平成14)年に「日本女子野球協会」、2009(平成21)年に「日本女子プロ野球機構」が発足。
「野球をやりたい!」という女子選手の情熱が開花。「ナックル姫」吉田えり投手、片岡安祐美選手らが誕生しました。
それだけに水島さんが亡くなった際、女子野球関係者から「女子野球のパイオニア」の死を悼む声が多く上がりました。
★水原勇気を誕生させたノムさんのアドバイス
プロの女子選手の活躍を描こうと考えていた水島さんは、知り合いのプロ野球関係者に意見を聞いて回ったそうです。
ほとんどの答えは「無理でしょ」。そんな中で、やはり親交のある故・野村克也さんの言葉がささりました。
「その投手にしかないボールがあって、ワンポイントとしてなら通用するかもしれない」
ノムさんの言葉から水島さんが着想。水原勇気が誕生しました。
「左のアンダースロー」で「ドリームボール」を駆使する「1球限定ストッパー」。
アドバイスを生かした設定で名ストッパーを世に送り出したんです。
ノムさんは現役時代、南海、西武、ロッテなどで「強肩強打の捕手」として活躍。
監督としても南海(選手兼任)、ヤクルト、阪神、楽天を指揮。ベテラン選手を要所で使って復活させる「再生工場」と呼ばれました。
実戦経験と豊富なデータを使った「ID野球」の名将の助言は、野球マンガと女子野球に影響を与えたんですね。
★あぶさんと山田太郎の誕生秘話
ノムさんは「あぶさん」の景浦安武、「ドカベン」の山田太郎にも影響を与えているんです。
水島さんが「酒飲みのスラッガーが主人公」というアイデアを、真っ先にノムさんに相談。
「大酒飲みでノンプロを首になったけど、高校時代に飛距離150メートルの本塁打を打っている」と設定を説明。
ノムさんは「代打なら使えるかもしれん」。この助言を生かして「史上最強の代打・あぶさん」が生まれました。
また山田太郎は、ずんぐり体型だけど「強肩強打の捕手」。まさに現役時代のノムさんの姿を反映しているんです。
4.「野球」以外のスポーツの魅力を広めた
山田太郎は柔道でも強かった |
水島さんは野球以外にも、多くのスポーツを取り上げて作品を描かれています。
山田は西南中学野球部時代、本塁クロスプレーで相手の目をケガさせショックを受ける。転校先の鷹丘中では廃部寸前の柔道部に入部。主将の木下次郎、岩鬼らと練習に励む。大会ではバックドロップ(裏投げ)の名手・影丸隼人、パワー柔道の賀間剛介らと対戦。準優勝を果たす。
悪事ばかり働く空手家たちに挑まれた際は、影丸や賀間たちとチームを結成。空手家たちとの対抗戦で完勝。
コミックス全48巻のうち、柔道編は第1巻から第6巻まで展開。昭和の少年たちは柔道にあこがれたほど。
空手家たちとの対抗戦に備えて、影丸らライバルたちとチームを組む設定。
「ドラゴンボール」で敵が孫悟空の仲間になっていったように、「昨日の敵は今日の友」の設定の先駆けといえます。
山田はケガをさせた選手に野球復帰を説得され野球部に移籍。明訓に進学します。
そして、旧友の木下やライバルの影丸、賀間も野球に転向。影丸の背負い投げ投法など柔道を生かしたプレーで山田と激闘。
過去のキャラを生かしたストーリーのつなげ方が絶妙です。
★サイクルサッカーも紹介
水島さんは、ほかにも野球以外のスポーツも精力的に取り上げています。
「下町のサムライ」では少年サッカー。
「輪球王トラ」では非常に珍しいサイクルサッカー。
「アルプスくん」はプロレス。
「虹を呼ぶ男」では最初は野球から始まり、後に主人公が相撲に転向。「ドカベン」の逆パターンですね。
いずれも「体を弓のようにしならせる」表現法で描かれ、力感とスピード感があふれた力作です。
まとめ・水島さんの「野球マンガ」のスゴさ
ここまで水島さんが残した4つの偉大な仕事、遺産を紹介し解説しました。
- 「野球マンガ」というジャンル、表現方法を確立した。
- 「野球マンガ」への登場をプロ野球選手のステータスにした。
- 「女子野球」の可能性を広げた。
- 「野球」以外のスポーツの魅力を広めた。
水島さんが「野球マンガ」の第一人者となった理由は、4つの遺産に加えて「野球のルール」にくわしかったこと。これを最後に紹介します。
例えば高校野球の大会で、特別規定で認められている「臨時代走」。
試合中に走者がケガをして治療する場合、ベンチメンバーが18人と少ない高校野球ではスタメン選手の代走が可能。
「ドカベン」では「特別代走」として紹介しています。当時の読者は「こんなルールがあるんだ」と驚きました。
1死満塁で明訓はスクイズに出たがフライとなって投手の不知火が捕球。一塁走者・山田が飛び出しているのを見た不知火が一塁へ送球。山田は帰塁できずアウト。不知火ら白新ナインは「ゲッツーが成立」と思い、そのままベンチへ戻った。だが、球が一塁へ送られる間に三塁走者・岩鬼が生還し得点が認められた。
一塁に帰塁できなかった山田はタッチが不要なフォースアウトにはならない。
だから一塁手は三塁に送球し、三塁手はベースにタッチ。三塁に帰塁していない岩鬼のアウトをアピールしないとダメ。
しかも白新ナインはベンチに戻ったのでアウトのアピール権を失ったんです。
このプレーは2012年夏の甲子園、鳴門(徳島)と済々黌(熊本)の一戦で再現されました。
得点した済々黌の選手は「ドカベン」を読んでこのルールを知り、監督も選手たちに作戦として説明していたそうです。
「野球マンガの第一人者」のスゴさを物語るエピソードです。
「水島新司さんをどう思いますか?」
「水島さんのオススメの作品を教えてください」
という方は、この記事を踏まえて作品をお読みください。水島さんの「野球マンガ」をさらに楽しむことができますよ。
当ブログでは、ほかにも「野球マンガ」を紹介しています。ぜひごらんください。
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