「眠れなくなる怪談沼 実話四谷怪談」お岩さんは実在の人?祟るの?日本一有名な怪談の真相を楽しもう

2023年8月16日水曜日

小説を楽しむ

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東京・四谷の於岩稲荷陽運寺

「良妻・貞女の神様」お岩さんはなぜ「江戸の三大怪談」の主人公になったのか?


日本人なら、知らない人はいない「四谷怪談」。

江戸の元禄時代(1688年〜1704年)に起きたとされる奇怪な事件を元に歌舞伎などで創作された、日本一有名な怪談です。

主人公は徳川幕府の御家人の妻「お岩さん」。夫に裏切られ、だまされて怨霊と化して恨みを晴らしたとされています。


「四谷怪談」が有名な理由は、物語の背景の異質さ。「お岩さん」のモデルになった女性が、江戸時代の初期に実在したこと。


当時から現代にいたるまで、舞台や映画などを作ったり演じる際には「於岩稲荷」をお参りしないと祟られるとされていること。


だから今もお岩さんは恐ろしい「怨霊」というイメージがあります。それだけに、


お岩さんは本当に実在したの? 怪談の内容は本当のことなの?


お岩さんは良妻・貞女だったって聞いたけど、なぜ怖すぎる怨霊になったの?


舞台や映画を作る時にお参りしないと祟られるのは本当なの?」なんて声がたくさんあるんです。


そんな疑問にバッチリ答えてくれるのが、小説家の川奈まり子さんが書かれた「眠れなくなる怪談沼 実話四谷怪談」。


怪談の語り部でもある川奈さんが約1年にわたって取材。お岩さんの伝承や「四谷怪談」にちなむ実話怪談などを紹介しています。


この記事では川奈さんの作品から、疑問に答えてくれる秀逸エピソードをチョイス。


  1. お岩さんは実在した良妻・貞女の鑑(かがみ)〜お岩さんの実像〜
  2. 「四谷怪談」の4つのバリエーション〜伝承から歌舞伎まで〜
  3. 良妻・貞女から江戸の大怨霊に〜民間信仰の変化と演出〜
  4. 舞台や映画の制作で起きる祟りの真相〜令和でも続く都市伝説〜

上記の4つについて紹介&解説します。


この記事を読めばナットク&マンゾク。お岩さんの実像や四谷怪談の内容、今も起きるとされる祟りの真相が分かります


何よりも川奈さんの作品を手にとって、ページを開きたくなりますよ。

四谷怪談のあらすじと川奈さんの作品の特徴


★四谷怪談のあらすじ


「四谷怪談」は前述したとおり、日本一有名な怪談。ストーリーのあらすじはイマサラ感がしますが、とりあえず大筋を紹介します。


主人公はお岩さん、江戸幕府の御家人・田宮又左衛門の娘。そして田宮伊右衛門、田宮家の婿養子です。

時は元禄。又左衛門には跡取りがいないことから伊右衛門を婿養子に迎え、娘のお岩と夫婦にした。

又左衛門の死後、伊右衛門は出世を目指し上司の「※娘」と結婚するため、お岩さんと離縁しようと画策する。

お岩さんは良薬だとだまされて飲んだ「※毒」で容貌が崩れ、恐ろしい面相になる。

知り合いから伊右衛門のくわだてを聞かされ、お岩さんは苦悶しつつ「※亡くなる」。

怨霊と化したお岩さんは、伊右衛門やくわだてに手を貸した人間を呪い始めるー。

現在まで伝わっていて、だれもが知っている大筋はざっとこんな感じ。

そのベースは、江戸時代後期の歌舞伎作者である四代目・鶴屋南北が書いた「東海道四谷怪談」といわれています。


実は「四谷怪談」は多くのバリエーションがあり、「」部分などそれぞれディテールが違っています。


川奈さんの作品は、さまざまなバリエーションを4つに分類して紹介しています。


★「四谷怪談」の内容や真相と実話怪談が楽しめる構成


川奈さんは作品の中で、「四谷怪談」には主に4つのバリエーションがあるとして分類しています。


川奈さんはこれまでの学説や最新の研究成果を踏まえて、バリエーションを整理。

  1. 現在も存在する田宮家や神社・寺に伝わる、お岩さんの伝承や由来が元になった作品。
  2. 講談や落語で創作され上演された作品。
  3. 歌舞伎で創作され上演された作品
  4. 当時のウワサを聞き書きした文献


4つのバリエーションを、川奈さんは調べた成果を元に考察し分かりやすく説明。


さらに「四谷怪談」にまつわる実話や、怪異の体験者から聞き取った実話怪談なども紹介。


作品を読めば「四谷怪談」の内容や真相に加えて、川奈さんが描く「四谷怪談」にまつわる実話怪談が楽しめる構成になっています。


1.お岩さんは実在した良妻・貞女の鑑(かがみ)〜お岩さんの実像〜


お岩さんはどんな女性だったんだろう?


★お岩さんの実像とは ⁉︎


毒薬のために崩れた顔。にっくき夫・伊右衛門を呪う怨霊。映画や歌舞伎などに登場するお岩さんには、そんなイメージがあります。


そして、お岩さんには江戸初期に実在しモデルになった女性が存在する


東京・西巣鴨の妙行寺には、お岩さんのお墓がある。


しかも田宮家があったとされる東京・四谷左門町には、お岩さんを祀る「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」が鎮座。


ちなみに於岩稲荷では田宮家の子孫の方たちが宮司禰宜(ねぎ)を務めている。


さらに実在した女性が怨霊と化し、今でも映画や舞台を作る際にはお参りしないと祟る可能性がある。


これこそが「四谷怪談」が日本一有名な怪談とされ、今も人気があって恐れられる理由です。


でもお岩さんは実在したのなら、いったいどんな女性だったんだろう?  だれもが考える疑問です。


川奈さんは、作品中でこの疑問にしっかりと答えてくれています。


★仲むつまじい夫婦


作品中の「序章四谷怪談を紐解く」の第3章「お岩さまの人物像と衣食住」。


おどろおどろしいイメージを覆す、お岩さんの〝実像〟が描かれていて面白いんです。

お岩さまはおそらく実在した人物とされている。

東京都豊島区の妙行寺に墓が、生家跡にある新宿区の於岩稲荷田宮神社に子孫が、それぞれ実在している。

田宮家の伝承では、元禄初期までに田宮伊右衛門とお岩さまの夫婦に起きた出来事から於岩稲荷が発祥した。

田宮家(田宮神社)の社伝では、伊右衛門とお岩さまは仲むつまじく暮らしていたとされる。

お岩さまの顔については特に記されていない。

一方で、お岩さんの菩提寺である妙行寺の由緒も紹介しています。

お岩さまは伊右衛門に虐げられた末、元禄よりも半世紀前に36歳で死没。

ただ寺が所蔵するお岩さまの木像は、健やかな容貌をしている。

川奈さんは、お岩さんの容貌を恐ろしげにしたのは江戸時代の文献「四ッ谷雑談集」と「於岩稲荷由来書上」だったと指摘。

2つの文献では、独身のうちから疱瘡(ほうそう=天然痘)のせいで醜貌だったとされていることを紹介しています。


さらに「於岩稲荷田宮神社」「妙行寺」いずれも、お岩さんは人品がすばらしい女性と主張していることにもクローズアップ。


そして川奈さんが多くの文献から考察した結果、お岩さんの実像を、


  1. お岩さまは江戸初期から中期(寛永〜享保)の人だった。
  2. ふつうの顔をしていた可能性がある。
  3. 顔に問題があるとしたら疱瘡のせい。
  4. 性格はよかった方に軍配が上がる。

そう説明しています。この川奈さんの検証と考察を読むと、これまでのお岩さんのイメージがかなり変わるんです。


四谷左門町の於岩稲荷田宮神社


★田宮神社のおしどり夫婦伝承


第四章 伝承と信仰に息づくお岩さま」では於岩稲荷田宮神社に伝わるお岩さんの人物像なども紹介しています。

お岩さまと伊右衛門は人も羨む鴛鴦(おしどり)夫婦だった。だが田宮家は貧しく、お岩さまは奉公に出ていた。

お岩さまは屋敷神(お稲荷さん)を信仰しつつ懸命に働いて蓄えを増やし、田宮家を再興した。

これが評判になり、近隣の人たちが幸運にあやかろうと田宮家の屋敷神を信仰するようになった。

社伝では、お岩さんはまさに良妻。できた女房。そして、お岩さんが信仰していた屋敷神が於岩稲荷の発祥というわけです。

また前述の「お岩さまの人物像と衣食住」に記された、お岩さんの「衣食住」の検証と考察も必見です。


お岩さんが江戸初期から中期の人という考察から、その当時の御家人の懐具合や暮らしぶりを紹介。


御家人だった田宮家の財政や、そこから導かれる食生活。さらに当時の女性たちが着ていた着物の主流が木綿だったこと。


当時の女性たちの髪型など。たくさんの文献などから考察されたお岩さんの人物像は、たくましく生き抜いた武家の女房」。


等身大のお岩さんが想像できる、すばらしい検証と考察が展開されています。


2.「四谷怪談」の4つのバリエーション〜伝承から歌舞伎まで〜


四谷左門町の於岩稲荷陽運寺


★お岩さんを怨霊化させた「四ッ谷雑談集」


「四谷怪談」にはさまざまなバリエーションがあり、川奈さんはバリエーションを4つに分類。代表的な作品を紹介しています。


川奈さんはその代表的な4作品&文献を成立年代順に取り上げています。


  1. 【四ッ谷雑談集】元禄当時に流れていたウワサや伝説、伝承などを集めたもの。
  2. 【講談&落語版の四谷怪談】江戸中期〜後期に講談や落語で成立した物語。
  3. 【東海道四谷怪談】江戸後期に四代目・鶴屋南北が書いた歌舞伎狂言。
  4. 【於岩稲荷由来書上】江戸後期の公文書とされた「四谷町方書上」の附録。

この4作品&文献のうち、川奈さんは「四ッ谷雑談集」が最も成立が古く「四谷怪談の源流」としています。


★「四ッ谷雑談集」のあらすじ


「四ッ谷雑談(ぞうだん)集」の成立年代と作者は不明。1727(享保12)年の奥付を持つ写本がある。


内容は「実録」(実話)とされ、「東海道四谷怪談」の原典といわれています。

四谷に住む御先手鉄砲組の同心、田宮又左衛門の一人娘・お岩さんは若い頃に疱瘡にかかり、婿取りが難しかった。

大工の息子で武士に憧れて浪人となった伊右衛門は、仲介人「小股潜りの又市」の斡旋で田宮家に婿入りする。

伊右衛門は上司の与力・伊東喜兵衛の屋敷で働くお花に恋慕。喜兵衛も妊娠させたお花を伊右衛門に押し付ける。

喜兵衛と伊右衛門はお岩さんをだまし田宮家から追放。お岩さんは旗本屋敷に奉公していたが、知人に2人の企てを聞く。

お岩さんは激怒して市中を疾走したまま失踪する。その後、田宮家では不幸が連続し断絶。跡地でも怪異が発生した。

そして止まらない怪異の原因を「お岩さんの祟り」として、於岩稲荷が建立されたーとしています。

注目点は、お岩さんの顔が崩れた原因を「疱瘡」、伊右衛門らの企てを知ったお岩さんが激怒して走り去り「失踪」したこと。


講談&落語版や歌舞伎版の「毒薬」で顔が崩れ、恨みをのんで「亡くなった」としていることと違っています。


★講談&落語版の特徴は豊富なサイドストーリー


講談版】江戸後期の講談師・乾坤坊良斎によって作られたといわれ、歌舞伎の「東海道四谷怪談」より先に上演されました。


幕末の嘉永期(1848年〜1854年)には、初代・一立斎文車のオハコだったとされています。


ストーリーは「四ッ谷雑談集」がベースになっている感じ。ただ、お岩さんは恐ろしい怨霊となって登場


喜兵衛と伊右衛門の企みに加担した関係者に憑依して命を奪ったり「江戸の大怨霊」として多くのシーンに出没します。


またストーリーは講談師によって、さまざまな設定・脚色がされています。


例えば、お岩さんの。だまされたのを知ったお岩さんがショックのあまり倒れた際に石に顔をぶつけて血まみれになったこと。


お岩さんの誕生秘話や、伊右衛門が田宮家の婿に入るまでのストーリーなど。さまざまなサイドストーリーが展開するんです。


川奈さんは、講談師としては初の人間国宝となった六代目・一龍齋貞水のストーリーを紹介しています。ぜひ作品でお読みください。


落語版】幕末〜明治期に活躍した春錦亭柳桜が、講談の「四谷怪談」を独自にアレンジして上演。大人気となりました。


川奈さんは、柳桜が於岩稲荷にお参りせず上演したら寄席の天窓が勝手に開き、高座は中止になったーという話を紹介。


「お参りしないと祟られる」という現在も続く恐怖の伝承が、当時から存在したことが分かるエピソードです。


ストーリーは「四ッ谷雑談集」がベースという感じ。ただ人体が切り刻まれたり、エログロ要素が多く含まれているのが特徴です。


川奈さんはもう1つの特徴として「お岩さん=貞女」「お花=悪女」という対比がなされていると説明。


明治期に確立された家制度の中で「女性=貞操」という理想像が勧められたという背景も紹介していて、ホント勉強になります。


お岩さんのイメージは鶴屋南北が作った⁉︎

★「東海道四谷怪談」現在のお岩さん像のベース


東海道四谷怪談」は1825(文政8)年に江戸・中村座で初演。四代目・鶴屋南北が書いた歌舞伎狂言です。


川奈さんによると「四ッ谷雑談集」が原本だけど、当時発表されていたさまざまな「四谷怪談」の集大成といえる作品。


歌舞伎の人気演目「仮名手本忠臣蔵」の「外伝」という体裁で書かれています。


さらに当時の江戸市中を騒がせた、不倫カップルが戸板にくぎ付けされて神田川に流された事件なども採用。


当時の事件や実話とされる市中のウワサなどを取り入れ、ストーリーのリアリティーを演出していると考察しています。


特徴は、お岩さんが伊右衛門らにだまされて毒薬を飲み、顔が崩れること。そして苦しさからもだえて亡くなること。


さらに男の死体とともに戸板にくぎ付けにされて川に流されるなど、市井の事件の要素を盛り込んで演出していること。


お岩さんが怨霊として出現して伊右衛門らを苦しめるなど、現在知られている「四谷怪談」とお岩さんのベースになっています。


★「於岩稲荷由来書上」は信憑性が揺らいでいる


於岩稲荷由来書上」は文政年間(1818年〜1831年)の記録を集めた「文政町方書上」のうち「四谷町方書上」の附録。


四谷伝馬町の町名主が奉行所に提出した調査報告書の形で記されています。内容は基本的に「四ッ谷雑談集」と同じ感じ。


お岩さんの失踪後、彼女の祟りで伊右衛門の関係者18人が非業の最後をとげていること。


その後も、断絶した田宮家の跡地に住んだ人たちの周辺で奇怪な事件が発生。


お岩さんの菩提寺である妙行寺に於岩稲荷を勧請して追善仏事をしたところ、怪異がおさまったーと記しています。


ただ、現在は内容の信憑性が揺らいでいます。理由は「四ッ谷雑談集」の1727(享保12)年の奥付を持つ写本が確認されたため。


約100年前に成立した「四ッ谷雑談集」の内容と酷似しているため、内容をパクったのでは?と疑われているんです。


そして書かれたのが「東海道四谷怪談」初演から2年後だったため、歌舞伎狂言を元に書かせたのでは?という説もある。


さらには南北が宣伝のために〝袖の下〟を渡して書かせたのでは?という説もあるんです。


川奈さんは「ウソばかりではない」という考察も紹介。於岩稲荷や妙行寺を取材したと思われる記述があると紹介しています。


3.良妻・貞女から江戸の大怨霊に〜民間信仰の変化と演出〜


貞女・お岩さんはなぜ怨霊になったのか?


★お岩さんはなぜ怨霊になったの?


「四ッ谷雑談集」から始まる「四谷怪談」は時代が流れるにつれて、ストーリーやお岩さんの設定が変化していきました。


最終的にお岩さんは〝真相〟を知った後に恨みをのんで世を去り、伊右衛門らを祟り、命を奪う大怨霊となりました。


でも於岩稲荷などでは、お岩さんは良妻・貞女の鑑のような女性で伊右衛門と仲むつまじい夫婦だったーとされています。


では「貞女」のお岩さんが、なぜ「怨霊」になったのか? されたのか?


川奈さんは関係者の取材や文献の徹底した調査で、その理由を考察しています。この理由がとても面白い!


ここでは「第四章 伝承と信仰に息づく お岩さま」から、お岩さんが怨霊になった理由と考察を紹介します。


★小説家・岡本綺堂の説


明治〜昭和初期の小説家・岡本綺堂。新歌舞伎の作者として知られ、時代小説「半七捕物帳」など代表作も有名です。


一方で怪奇・ホラー作品も多く発表するなど、怪異についても造詣が深い人でした。


そして「四谷怪談異説」で、お岩さんが「怨霊」とされた原因について言及しています。

夫婦は貧しさから抜け出すため、形式的に離婚してそれぞれ奉公してお金を稼いだ。

念願がかない、お岩さんは奉公先からお稲荷さまを勧請して屋敷神を建てた。

屋敷神には名前がなく、いつからともなく「於岩稲荷」と呼ばれた。

稲荷の縁起はおめでたいことなのに、講釈師や狂言作家が脚色などを加えて怪談を作り出し、世間が受け入れた。

そう説明しています。講釈師や歌舞伎狂言作家が「貞女」を「怨霊」に脚色したーというわけです。

於岩稲荷の禰宜さんの解釈は⁉︎

★鶴屋南北の演出

2022年11月、川奈さんはこの作品の取材のため、東京・四谷左門町の於岩稲荷田宮神社を訪問。


禰宜栗岩英雄さんを取材し、この作品を書くためのお祓いを受けたそうです。


「四谷怪談」ではお岩さんの祟りで田宮家が断絶したとされていますが、於岩稲荷は「存続している」と見解を公表しています。


栗岩さんは婿養子で田宮家の1人。現在は息子さんが田宮の名前を継ぎ、宮司を務めているとのこと。


川奈さんは「お岩さんが怨霊となった」理由を栗岩さんに質問しています。


栗岩さんも岡本綺堂と同様の説を披露。さらに栗岩さんの「怨霊化」についての考察も紹介しています。

於岩稲荷は夫婦円満や家内繁盛を祈願する人たちが信仰するお稲荷さんだった。

鶴屋南北の「東海道四谷怪談」が上演されてから、歌舞伎役者や観客らなど、これまでと違う人たちが訪れるようになった。

そのため於岩稲荷は「お化けのお稲荷さん」になった。

「忠臣蔵」と合わせて幕政批判の作品だったが、「東海道四谷怪談」が突出して「怪談」人気が上昇してしまった。

栗岩さんは、そう主張しているそうです。

★菩提寺では


川奈さんは2023年1月、お岩さんのお墓がある東京・西巣鴨の妙行寺を訪れ、住職の松村観宗さんにも取材されています。


妙行寺が西巣鴨にあるのは、明治期に移転したため。お墓にはお岩さんのお骨はなく、残されたが眠っているそうです。


住職の松村さんも、お岩さんについて下記のように説明しています。

お岩さんが貞節を守り、奉公して家を再興した姿を市中の人たちが見ており、お岩さんを信仰し利益にあやかろうとした。

寺に伝わるお岩さんの木像は美しい顔をしている。

伊右衛門はだらしない人で、お岩さんに苦労をかけたのかもしれない。

お岩さんの祟りがあるといわれたのは後々のこと。

鶴屋南北は信仰されているお岩さんの名前を歌舞伎のために借用したのだろう。

こうして見てくると、お岩さんは貞節を守り、だらしない夫にかわって家を切り盛りする賢夫人というイメージが強い。

そんな貞女の人気にあやかった人たちによる「怨霊」の演出が、世間に受け入れられていった。そんな感じがします。


4.舞台や映画の制作で起きる祟りの真相〜令和でも続く都市伝説〜


なぜ今も「祟り」の話が続くのか⁉︎


★なぜ祟りのウワサが尽きないのか?


川奈さんは検証と考察で「お岩さんは貞女で夫婦仲もよかった」、そんな「お岩さん像」の新たなイメージを紹介しています。


そして「貞女」が「怨霊」と化す過程も分かりやすく、面白く示しています。


でも最後に残る疑問は怨霊ではないお岩さんをめぐって、なぜ今も祟りの話が尽きないのか?


現在でも「四谷怪談」の舞台や映画・ドラマを制作したり、小説や漫画などを書く際には関係者が於岩稲荷をお参りしています。


一方でお参りしない場合は、事故が発生したりケガ人が出たという話がささやかれています。


この疑問に対する解答についても、川奈さんは紹介しています。


★舞台裏の暗さが事故の原因


前述したように、川奈さんは於岩稲荷の禰宜である栗原英雄さんを取材しています。


川奈さんは「お岩さんの祟り」について、栗岩さんに質問を投げかけています。そして栗岩さんは、

僕はここ(於岩稲荷)にお詣りしないと祟りがあるなんていったことはない。

まだ電気もなかった(江戸)時代に、ああいう仕掛けが多い芝居をやったら、暗いせいで足元も見えない。

だからケガすることも多かったはず。祟りのせいではない。

祟りなんてものがあるとは思えない。だから、うち(於岩稲荷)をお詣りしなくてもいい。

よどみなく、そう話していたそうです。

川奈さんはインタビュー時に栗岩さんのお祓いを受けたそうです。その際には不思議なことが起こって…。


その内容はぜひ作品を読んでいただきたいですが、川奈さんは「神(お岩さん)の励ましだった」と解釈しています。


★現代でも発生する流行神


「貞女・お岩さん」の怨霊化は、もともとあった「お岩さん信仰」に講談・落語や歌舞伎作者がアレンジを加えて創作。


作品が世間に受け入れられて、「大怨霊・お岩さん」が「祟り」をもたらす「流行神(はやりがみ)」として誕生した。


川奈さんは作品中でそう指摘しています。


さらに川奈さんは、この流行神の事例が現代にも存在すると紹介しています。


その1つが、東京・渋谷の「道玄坂地蔵尊」。憎いと思う男の不幸や縁切りを祈る女性が信仰していると説明しています。

信仰の由来は「道玄坂地蔵尊」の前で〝夜の仕事〟をしていた女性が、何者かによって命を奪われた「△電OL事件」が発端。

最初は犠牲になった女性を慰霊するため、人々が地蔵尊に手を合わせていた。

事件の詳細が判明するにつれて、犠牲者の境遇に共感する女性が増えたと思われる。

女性たちは憎く思う男の名刺やタバコの吸いがらを地蔵尊に備え、自分が使っている口紅をお地蔵さんの口に塗り出した。

怨む相手の不幸や縁切りを祈願する儀式が成立した。

こうして於岩稲荷と同様の流行神「地蔵尊信仰」が誕生したーと紹介。

確かに「貞女・お岩さん」信仰が生まれた過程を彷彿とさせます。

もう1つが「ソフィア稲荷」。四谷にある某ミッション系大学のキャンパス内に設置された鳥居と一対の白狐で発生した事例です。

怪談研究家の吉田悠軌さんが「月刊ムー」2018年2月号で取り上げた「流行神」現象。

キャンパス内のデッドスペースに、ある事務員が花を供えた。次第に小法師(こぼし)や鳥居、白狐も加わった。

さらにお賽銭が加わると、大学側が窃盗に類する犯罪が起きかねないと問題視し撤去された。

ミッション系大学の構内に「お稲荷さん」が存在したこと自体が珍現象ですが、まさに流行神の好例と紹介しています。

流行神はやがて都市伝説となっていく

★流行神は都市伝説に

「道玄坂地蔵尊」は不幸な最後を遂げた犠牲者に女性たちが共感。お地蔵さんに願えば、憎いあの男を不幸にできる」という信仰に変化。


信仰(ウワサ)が広まるにつれて、お地蔵さんの口に口紅を塗るなどの儀式が生まれ流行神になった。


ウワサは現代ならメディアの記事やSNSなど、江戸時代なら芝居や瓦版などで拡散される。


そして拡散されたウワサは、根拠や由来が不明な都市伝説になっていく。


ここからはワタシの考察ですが、「流行神」が「都市伝説化」することが「お岩さんの祟り」が今も信じられている理由と考えます。


当ブログでは「呪い」について考察した記事を掲載しています。


「呪いって本当にあるの?」という人に知ってほしい「日本三大怨霊」との「呪術廻戦」


この記事では「呪い」が発生するメカニズムについて紹介しています。


★「お岩さんの祟り」=「呪い」のメカニズム


例えば、ある役者さんが四谷怪談の舞台に出演し「お参りしないとお岩さんの祟りがある」という情報(ウワサ)に遭遇するとします。


江戸時代から現代まで続く、日本人ならだれもが知っている有名な情報=都市伝説です。


上記の記事では、情報が人の意識や体に影響を及ぼす。それが「呪いのメカニズム」だと説明しています。その内容は、


  • 心理学的解釈では、お岩さんに関して「お参りしないと祟りがある」という情報を知ることで自己暗示にかかる。
  • 超心理学的解釈では、「お参りしないと祟りがある」という日本人に共有されている「恐怖感情」にシンクロする。

役者さんが「お参りしなかった」場合、「祟りがある」という情報が役者さんに後ろめたさ恐怖感をもたらし、意識や体に影響を及ぼす。


不安感や恐怖感から体調不良や事故につながる。これが「お岩さんの祟り」の正体。まさに「呪い」と同じだと考えるんです。


自我があり「考える葦(あし)」である人間だからこそ「呪い」や「祟り」は存在すると考えています。


ただ、川奈さんが作中で紹介している「お岩さん」に関する不可思議な現象も確かに存在します。


その現象の原因や理由は、今後も当ブログが追及し続けていきたいテーマです。


まとめ・お岩さんは美しくてたくましい「自立した女性」


新たなお岩さん像が楽しめる


ここまで「四谷怪談」とお岩さんについてくわしく分かり、楽しむことができる川奈さんの作品について紹介してきました。


さらに川奈さんの作品から秀逸なエピソードをチョイス。


  1. お岩さんは実在した良妻・貞女の鑑(かがみ)〜お岩さんの実像〜
  2. 「四谷怪談」の4つのバリエーション〜伝承から歌舞伎まで〜
  3. 良妻・貞女の婦人から江戸の大怨霊に〜民間信仰の変化と演出〜
  4. 舞台や映画の制作で起きる祟りの真相〜令和でも続く都市伝説〜

上記の4点について解説してきました。


この記事を読んだことで、お岩さんの実像や四谷怪談の内容、今も起きるとされる祟りの真相が分かります。だから、


お岩さんは本当に実在したの? 怪談の内容は本当のことなの?


お岩さんは良妻・貞女だったって聞いたけど、なぜ怖すぎる怨霊になったの?


舞台や映画を作る時にお参りしないと祟られるのは本当なの?


そんな疑問に答えバッチリと解決できたと思います。


川奈さんは作品で、お岩さんの新しい人物像を紹介。それは封建&男社会だった江戸時代でたくましく生きた女性の姿です。


怪談の中で、お岩さんは伊右衛門に離縁された後も他家に奉公。自立した生活を送っています。


於岩稲荷の伝承でも、貧しい家計を支えるため働く姿が伝えられています。


生まれて来るのが早すぎた、令和の時代にも通じる自立した女性」であることを教えてくれています。


「四谷怪談」を楽しみたい人は、ぜひ川奈さんの「眠れなくなる怪談沼 実話四谷怪談」のページを開いてください。


お岩さんの「新しい姿」を知ることもできて、ナットク&マンゾク。きっと「怪談沼」にハマりますよ。


当ブログでは、ほかにも「怖い小説・漫画」を紹介しています。ぜひご覧ください。


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