「ディープな古代史本」任那日本府・聖徳太子・2つの王朝「目からウロコが落ちる」オススメ解説本3選

2025年6月9日月曜日

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聖徳太子は昭和の1万円札の顔でした

古代史の謎や通説の違和感を解消してくれる新説&異説


日本史の中で、最も謎に包まれていて人気がある「古代史」。


3世紀なかばに存在したとされる邪馬台国をはじめ、文献や資料がほとんどない「空白の4世紀」ごろの大和政権 etc。


謎のベールに包まれている一方で通説定説はあるけど、どれもビシッとした確証がなくて違和感も覚える時代です。


通説や定説に違和感がある分、新説異説もたくさんあります。それだけに、


古代史の新説や異説が楽しめる、面白い本を教えて!」なんて声が多いんです。さらに、


昭和の教科書にのっていて韓国から否定されてた任那日本府って、今はどんな説が有力なの?


聖徳太子とか古代の大和朝廷の通説って、辻つまが合わないところがあって違和感があるんだよなあ


そんな声もたくさん上がっているんです。


この記事では面白い新説や異説が分かって、読めば「目からウロコが落ちるディープな古代史本として、


  1. 「伽耶/任那ー古代朝鮮に倭の拠点はあったか」(著者・仁藤淳史さん)
  2. 「聖徳太子は暗殺された ユダヤ系蘇我氏の挫折」(著者・田中英道さん)
  3. 「701年、倭国滅びて日本国建つ」(著者・斎藤忠さん)

上記の3作品について紹介&解説します。3作品はいずれもワタシ的にオススメの解説本


この記事を読めば謎に満ちた古代史の新説や異説が楽しめて通説や定説の違和感も解消します


そして、実際に作品のページを開きたくなりますよ。


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改めて古代史とは ⁉︎


「日本書紀」や「古事記」は面白いけど…

古代史って、どの時代のことをいってるの⁉︎」なんていう人がいると思います。


なので、ここでは改めて「古代史」の時代について説明します。


日本の「古代」という時代は主に、旧石器時代縄文(新石器)時代弥生時代古墳時代という流れ。


さらに飛鳥時代奈良時代平安時代という区分になっています。


飛鳥時代あたりから国内の文献や資料が残されているけど、それ以前の時代は遺跡中国の歴史書(正史など)が研究面での頼りです。


特に古墳時代(主に4世紀ごろ)は、頼りの中国が戦乱状態だったので文献がなく「空白の4世紀」なんていわれています。


学者さんたちは限りある文献資料や遺跡・遺物などから研究・考察を重ねて、現在の通説や定説に導いてきたんです。


ただ最近の考古学的文献的な発見や新しい考察で、通説や定説に違和感を覚える事例がけっこうあるんです。


ワタシが特に「これって、今はどう検証されてるの?」と思っていたのが、この記事で紹介する3つの事例。


1つは古代の朝鮮半島の南部にあったとされる日本の拠点「任那日本府」。


もう1つが飛鳥時代に活躍したという皇族で政治家の「聖徳太子」。


そして、5世紀ごろに日本を統一したとされている「大和政権」。


この3つの事例について、それぞれに覚えた違和感は後ほど説明しますが、「ホンマかいな ⁉︎」とずっと思っていました。


そんな疑問に対して〝目からウロコ〟のような納得できる新説&異説を教えてくれたのが、この記事で紹介する3作品なんです。


次項からは1つずつ作品を紹介&解説していきます。


1.「伽耶/任那ー古代朝鮮に倭の拠点はあったか」



★日韓の歴史観が交錯する地域


「伽耶/任那ー古代朝鮮に倭の拠点はあったか」の著者は、仁藤淳史さん。


歴史学者で専門は古代史。現在は国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の名誉教授を務められています。


歴史の事例を日本だけじゃなく、東アジア全体からの視点で研究・考察した著作が多い学者さんです。


そして今作品は、古代(3〜6世紀ごろ)の朝鮮半島南部にあったとされる加耶(かや)・任那(みまな)地域が舞台です。


仁藤さんは日本の文献(古事記、日本書紀など)はもちろんのこと、朝鮮半島に残っている文献(百済三書など)を駆使。


さらに中国の歴代王朝が残した正史などをひもときつつ、当時の東アジアの情勢などを含めてトータルに検証。


戦前から現在にいたるまでの研究成果もまじえて、当時の朝鮮半島南部にあった「任那日本府」の実態を考察しています。


朝鮮半島南部は古代から日韓の人たちの交流が盛んだった地域とされていますが、歴史・政治的な面ではセンシティブな地域。


両国民の歴史観が交錯する地域なワケですが、仁藤さんは日本の皇国史観、韓国の民族史観を超えて〝実態〟に迫っているんです。


★当時の日本にとっての〝拠点〟


当時の加耶・任那は、今でいうと韓国・釜山あたり。日韓の最短距離にあるだけに、古代から人の行き来があったとされています。


邪馬台国があったとされる3世紀中ごろは、中国の正史「魏志倭人伝」などに「狗邪(くや)韓国」と記述されています。


「魏志倭人伝」では、魏の使者が邪馬台国に向かう際、朝鮮半島からの出発地として記述されています。


時代が下って4世紀ごろになると、朝鮮半島は「高句麗」「百済」「新羅」の三国時代に入ります。


一方、半島南部の地域は小国群に分かれていて、この地域の総称として「加耶」と呼ばれていたそうです。


当時の大和政権は「加耶」を「任那」と呼び、政権の出先統治機関である「任那日本府」があったと日本書紀に記述されています。


ただ「加耶」地域の小国群はいずれも滅亡したため、それぞれの「国史」(文献)がない。


残されている「百済三書」にも「任那日本府」の記述がほとんどなくて、名称は「日本書紀」だけが強調している感じ。


そして戦前の日本政府が朝鮮半島を実効支配するために、「任那日本府」を過去の支配実績として強調していた面もありました。


だから戦後に韓国側からの大反論を受けて、現在の文科省は「実在は支持できない」と否定的です。


ところが最近になって、「加耶」地域から日本の墳墓遺跡では代表的・独自的とされる前方後円墳が相次いで発掘されたんです。


となると、前方後円墳には日本人が埋葬されているんじゃないの? それなら「任那日本府」もホントにあったんじゃないの?


ホントのところ、どうなってるの ⁉︎」。ワタシはアタマが「」でいっぱいになりつつワクワクしていました。


韓国南部の金海遺跡

★「加耶」地域は「駐在所」だった


そんなワタシに「答え」をもたらしてくれたのが、仁藤さんの今回の著書。


仁藤さんによると、「加耶」は当時の日本人の駐在所」だったんじゃないか、と。


じゃあ何のために駐在していたのかというと、戦闘での武器の原材料となる「の確保のためじゃないかーというワケです。


当時の日本(の技術)では鉄は産出されず、産地である朝鮮半島に頼っていたそうです。


貴重な鉄を確保するため、日本から各豪族が子弟を半島南部に送り込んで駐在させていた


そして派遣された駐在員たちは、現地の人たちと婚姻関係を結ぶなどして土着化していった。


そうした人たちの集まりを総称して、日本書紀では「任那日本府」と呼んだんじゃないかーというワケです。


仁藤さんの著作を読んで、ワタシは「ああ、なるほどな!」とナットク。まさに「目からウロコ」の状態でした。


さらに面白いと思ったのは、「駐在員」たちの本国への態度・姿勢


「加耶」へ送り込まれた人たちは、大和政権の臣下である豪族たちの子弟。


本国では見い出せない生活基盤を築くため、「加耶」地域で奮闘していた。


そして自分たちの根拠地で生きるための利権を守るため、本国からの指示を無視したり反抗したりもしていたそうなんです。


そうした事例が記された文献も紹介されていて、めっちゃ面白いんです。


「任那日本府」に興味がある方は、ぜひ今作品を読んでみてください。


2.「聖徳太子は暗殺された ユダヤ系蘇我氏の挫折」






★日本にやって来たユダヤ人


「聖徳太子は暗殺された ユダヤ系蘇我氏の挫折」の著者は田中英道さん。


田中さんは美術史家東北大学名誉教授を務められていましたが、2025年4月30日に逝去されました。


お悔やみを申し上げます。


専門はイタリア・フランスの美術史ですが、日本美術の世界的な価値についても研究されています。


その観点から日本の歴史・文化についても研究されていて、日本国史学会の代表を務めていらっしゃいました。


田中さんの歴史観は独自的で、古代の日本には中国〜朝鮮半島を経由してユダヤ人が訪れていたと主張されています。


日本のユダヤ人〟については、明治時代から「日ユ同祖論」(ユダヤ人が日本人の祖先)などがあって、トンデモ扱いされています。


一方の田中さんは、やって来たユダヤ人たちは日本に土着して日本人に同化していった。


そして、〝日本人〟としてさまざまな知識や技術を生かして大和政権に仕えた。


6世紀ごろに活躍し、帰化人とされている秦氏らが代表的なユダヤ系で、さらには有力豪族の蘇我氏もそうだと主張しているんです。


そんな当時の状況の中で活躍した聖徳太子について、田中さんは考察・検証しているワケです。


★謎が多すぎる飛鳥の聖人


聖徳太子といえば、昭和生まれのオジサン&オバサンたちなら学校の教科書で習った「歴史上の偉人」。


飛鳥時代(590年〜710年ごろ)を代表する政治家であり、聖人です。


成立期から続いていた豪族が支える形の大和政権を、中国(当時は)から社会制度・文化を取り入れて改革


冠位十二階制度」や「十七条憲法」を定めて、天皇を中心とした中央集権国家として確立させた大政治家。


さらに中国〜朝鮮を経由して伝来した仏教を熱く信仰して日本に広めた。昭和生まれの人たちは小学校などでそう習っていたんです。


でも昭和に習った「聖徳太子」は令和の今、めっちゃ揺らいでいるようです。


「十七条憲法」などの文言に「奈良時代以降の使い方のモノがある」とか。


「『冠位十二階の制度自体、行われていたか怪しい」とか。


聖徳太子の事績は盛られているんじゃないか? 作り話なんじゃないのか、と。


さらに聖徳太子自体の実在性にも疑問の声が上がっていて、「正体は蘇我馬子だった」なんて説もあったりします。


特に疑問だったのは、聖徳太子の名前の1つとされる「厩戸王(皇子)」。


太子の出生伝説では、お母さん(間人皇女)の口から救世観音が入ってみごもったとか。


さらには、厩(うまや=馬屋)の前で誕生したとか。


どう読んでも「これってイエス・キリストの出生伝承と同じじゃん」と、めっちゃ不思議に感じてました。


なので「謎の多い聖人」というのが、ワタシ的な「聖徳太子」のイメージでした。


蘇我馬子が埋葬されているとされる奈良・石舞台古墳

★聖徳太子の〝キリスト〟感は蘇我氏が創った


田中さんが主張するのは、古代から日本にユダヤ人がやってきて土着し、大王(天皇)を支える豪族に成長していった。


その代表的豪族が、聖徳太子の側近として知られる秦河勝をはじめとする秦氏。


さらに、強大な権力を振るった蘇我氏だとしているんです。


さらに蘇我氏は、当時の中国まで伝来していた「景教」=キリスト教ネストリウス派の一族だった、と。


それは姓の「蘇我」が示していて、「我、蘇(よみがえ)」。処刑後に復活したとされるイエス・キリストへの信仰を意味しているとしています。


でも通説では、蘇我馬子は仏教を信奉する祟仏派神道系物部(守屋)氏と戦闘(丁未の乱)まで起こしたとしています。


田中さんは、蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺したり物部氏を滅ぼした行為は、とても仏教徒のやることじゃない。


仏教を隠れ蓑にしてキリスト教を広めると同時に、大和政権を支配する狙いがあった。


その一環として天皇家にお妃を送り込み、誕生した皇子を外祖父として操る。そのために選ばれたのが聖徳太子だったーと主張しているんです。


だから太子に「厩戸」の名前をつけてキリストのイメージを与えた聖徳太子をイエス・キリストにしようとした


一方で聖徳太子は馬子の意図を見抜き、天皇中心の中央集権国家を推進しつつ仏教を広めた。


十七条憲法に奈良時代の文言が多いが、それは事績を記している日本書紀が奈良時代に成立した影響だと強調。


聖徳太子のモノとされる事績は作り話ではなく、実際に太子によって行われた事実だと主張しています。


そして「厩戸王」に裏切られた馬子は、聖徳太子に手をかけて…。


通説では聖徳太子は流行病(天然痘)で亡くなったとしていますが、田中さんの、その死去に関する経緯の考察が面白いんです。


謎の多い聖徳太子に興味がある方は、ぜひ今作品をご覧ください。


3.「701年、倭国滅びて日本国建つ」






★九州王朝説を深掘りした力作


「701年、倭国滅びて日本国建つ」の著者は、斎藤忠さん。


斎藤さんはフリージャーナリストをなりわいとしつつ、日本史やキリスト教を追究している研究者さんです。


今作品は、「大宝律令」が成立した飛鳥時代末期の701(大宝元)に、大和政権で起こったとされる易姓革命=王朝交替がテーマ。


当時の日本には「倭国」と「日本国」、2つの王朝があったという説をベースに、考察と検証を展開しています。


古代の日本に2つの王朝があったとする説は、昔から議論されていたそうです。


例えば、江戸時代の有名な国学者・本居宣長は、「邪馬台国」や「倭の五王」は、近畿の天皇家ではないと説明。


さらに九州の南部にいたとされる熊襲(くまそ)や、朝鮮南部の任那日本府が「倭王」だと中国に主張していたとしています。


そして現代で有名なのが、古代史家・古田武彦さんの「九州王朝説」。


邪馬台国は九州にあって「倭国」の前身であり、「倭の五王」は邪馬台国後に成立した九州王朝の王たちだった。


だが九州王朝は、663(天智2)年の「白村江の戦いで敗れ滅亡したーという説です。


斎藤さんは、古代には「九州王朝」の「倭国」と近畿の「日本国」の2王朝があった。


そして、やがて勢力を広げた「日本国」が「倭国」を吸収したと主張しているんです。


★違和感がある大和政権の通説


日本史大好きなワタシですが、古代の大和政権が成立していく過程などの通説を読むたびに違和感を覚えていました。


特に「変だよなあ…」と感じていたのは、大和政権がたびたび九州を征伐していたこと。


例えば527(継体天皇21)に起こった筑紫国造・磐井の乱。今の福岡地方の豪族で反乱した磐井を征伐した事例です。


でも九州って天皇家の初代・神武天皇が治めていて、その後に日向から東遷して近畿に移ったんだよなあ。


九州は天皇家の故地で「親天皇家」のはずなのに、何で現地の豪族が大和政権に反乱を起こすんだろう?


そう不思議に思っていたんですよ。


もう1つが、女帝・推古天皇の時代(600年)に中国王朝の「(ずい)」に派遣された「遣隋使」が発言した内容。


歴史上最初の「遣隋使」とされているけど日本書紀には記されていない事例で、中国の正史「隋書」に記載されています。


隋の高祖・文帝の質問に遣隋使が答えた内容で、使者は自分たちの大王の名前を「阿毎多利思北孤」と紹介しているんです。


通説では「阿毎多利思北孤」は「アメノタラシヒコ」と読み、阿毎(アメ)=天から垂下(下りてきた))という意味だとか。


でも待ってよ、遣隋使が派遣された600年のときの天皇って推古天皇だよな。


それに推古天皇って日本初の女帝といわれてるけど、「タラシヒコ」って男の名前だよな、と。


通説では「タラシヒコ」は蘇我馬子や聖徳太子だといわれていますが、国交の場なんだから堂々と「女帝」の名前をいうべきじゃないの?


メチャおかしいじゃん ⁉︎」と疑問に思ってたんです。


筑紫国造・磐井の墓とされる福岡・岩戸山古墳

★「日本国」が「倭国」を併合した⁉︎


長い間そんな思いを抱えていたけど、「701年、倭国滅びて日本国建つ」を読んだら「これは面白い!」と驚かされました。


何よりも面白かったのが、「倭国」と「日本国」について。


通説では律令制が確立された701年前後に、「わが国は文明国だ」と中国へアピールする意味で「倭国」から「日本国」に改めたとされています。


ところが中国の正史に「倭国」と「日本国」の関係性が記されていて、斎藤さんの著書でも紹介しています。


中国の唐代の正史「旧唐書」に、「日本は倭の別種」「もともと日本は小国だったが、後に倭を併わせた」という記述です


要するに、「倭国」の中に「日本」という小国があった。江戸時代の徳川幕府に従う「」のようなイメージでですね。


でも次第に「倭国」=九州が衰えて、勢力を広げた「日本」=近畿に併合・吸収された、と。


「旧唐書」の内容については議論があるそうですが、ワタシ的には「目からウロコ」の衝撃的な内容。


筑紫国造・磐井など天皇家の故地・九州の豪族が反乱を起こしたのは、九州の「倭国」と近畿の「日本」との勢力争いじゃないのか?


そして「遣隋使」が語った大王「アメノタラシヒコ」の疑問。


第1回の「遣隋使」を送ったのは「日本」ではなく「倭国」で、「倭国の大王が男王アメノタラシヒコ」だったんじゃないか?


2回目以降の遣隋使については日本書紀に記述があるけど、それは「日本」からの使節だったから。


そして「日本書紀」「古事記」は「日本の正史だからこそ、記述されてるんじゃないのか。


そして「倭国」の歴史を都合よく引用して編さんされてるんじゃないのか、と。


斎藤さんの著書では、文献資料を使って「日本国」が「倭国」の痕跡を消していく過程も考察・論証していてメチャ面白い。


斎藤さんは今作品の「完全論証版」として「大宝元年の易姓革命」も発表されているので、興味のある方はぜひご覧ください。


まとめ・謎のベールに包まれた「古代史」がもっと好きになる


歴史は時代の解釈で変わっていきます

ここまで面白い新説や異説が分かって、読めば「目からウロコが落ちる」ディープな古代史本について紹介してきました。


そして、ワタシ的にオススメの解説本として、


  1. 「伽耶/任那ー古代朝鮮に倭の拠点はあったか」(著者・仁藤淳史さん)
  2. 「聖徳太子は暗殺された ユダヤ系蘇我氏の挫折」(著者・田中英道さん)
  3. 「701年、倭国滅びて日本国建つ」(著者・斎藤忠さん)

上記の3作品について紹介&解説してきました。


この記事を読んで、3作品が謎に満ちた古代史の新説や異説が楽しめて通説や定説の違和感も解消してくれると分かったと思います。


日本史の中で、「古代史」は最も謎に包まれている時代。3世紀〜4世紀ごろの文献資料が極端に少ないためです。


学者さんたちの研究の成果で通説や定説はあるけど、どれもビシッとした確証がなくて違和感を覚える事例もたくさんあります。


そのため新説や異説も数多くある。だから紹介した3作品は、


古代史の新説や異説が楽しめる、面白い本を教えて!


昭和の教科書にのっていて韓国から否定されてた任那日本府って、今はどんな説が有力なの?


聖徳太子とか古代の大和朝廷の通説って、辻つまが合わないところがあって違和感があるんだよなあ


なんて疑問がある方にはぴったりなんです。


この記事を読んで興味を持った方は、ぜひ作品を読んでみてください。謎のベールに包まれた「古代史」がもっと好きになりますよ。


当ブログでは、ほかにも面白い「歴史本」や「歴史漫画」を紹介しています。ぜひご覧ください。


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